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e-book Japan ベルサイユのばら

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2006年4月 3日 (月)

ベルばらの娘たち

オスカルのように男装して闘う女性といえば

たいていの人が思い浮かべるのは手塚治虫の「リボンの騎士」だろう。でも、個人的には田村由美の「BASARA」(小学館)も推しておきたい。男装して闘う少女の活躍に、雑誌連載当時は毎回ハラハラドキドキした。それに「政治って何?」と考えさせられる点では、ベルばらの流れをくんでいるともいえるのだ。

舞台は文明が崩壊し荒廃した未来の日本。育った村を滅ぼされた16歳の少女・更紗は、殺された兄・タタラの身代わりとして立ち上がる。志を同じくする仲間を増やしながら、圧政を敷く国王に闘いを挑んでいく、少女の成長ストーリーだ。

正義のために闘っているはずなのに、闘って死んでいく一人一人は善良な人間。更紗にとっての憎い敵が、その国民にとってはよい君主であったりもする。更紗は常に「なぜ闘うの?」と自問する。そこから「民主主義とは何か」まで問うていく姿は、やはりベルばらのオスカルと重なる。一人の少女が、国の統治に一歩ずつ近づいていく姿は、ちょっとRPGぽくはあるが、壮快だ。

同じように男装して闘う女性でありながら、読者の受け止め方は微妙に違う。更紗は読者が自己投影できる存在であるのに対し、オスカルはどちらかというと、異性に対するような思慕を寄せられる対象だ。私も思い返してみれば、BASARAでは「更紗がんばれ~」だったが、ベルばらでは「オスカル様~(ハートマーク)」だった。

当時は自分でも分かってなかったが、それは更紗が少女であることを周囲に隠していたからだろう。更紗は16歳までは普通の少女だった。それが兄の死をきっかけに「兄を装う」ことになり、親しい仲間をのぞいて、周囲に対して更紗は「少年」だとだまし続ける。内面は少女のまま恋をし悩む更紗の姿には、読者は自らを重ねやすい。また、「普通の少女イコール私でも、担ぎ上げられれば闘いのリーダーになれる」と導かれ、壮大な国取り物語に入り込める。

対して、オスカルが女であることは周囲も承知している。男のような仕事をしているのも「女だてらに」なわけだ。たぶん、ベルばら時代は「女性自らが活躍する」ことにはためらいがあった時代背景もあるだろう。しかし、私とベルばらの出会いがもし現在だったとしても、オスカルに自己投影できたかというと、それはなんだか「恐れ多い」というカンジで、やはり思慕の対象になってしまうだろうと思う。

ともかく、「BASARA」は文庫版で16巻まである大長編なんだが、お時間を割いてもぜひ読んで頂きたい良作なのだ。

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投稿者 松尾慈子 2006/04/03 10:00:51 ベルばらの娘たち |