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2006年5月25日 (木)

花咲けるやまとなでしこ絵巻

勇猛な女帝 神功皇后

男装の麗人(4) 『日本書紀』神功皇后(じんぐうこうごう)

「私はかよわい女である。しかしながら今、男の姿となり討伐しよう!」居並ぶ群臣に高らかに宣言し、彼女は自ら斧(おの)と鉞(まさかり)をとり号令をかけた。

神慮により男装した彼女の名を神功皇后、またの名を気長足姫(おきながたらしひめ)ともいう。幼いころから聡明で叡智を備え、しかも容姿端麗だった彼女は、長じて仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后となった。

あるとき、仲哀天皇は九州の熊襲(くまそ)征伐をしようと、神託を求めた。すると神が乗り移った皇后が、「西方に金銀財宝の豊かな国がある。熊襲ではなく、そこを攻略して治めよ」という。そんな国があるものか、と疑う天皇に「お前は手に入れることはできない!皇后のおなかの子がその国を手に入れる事ができるだろう」という怒りの神託が下る。疑った罰か、天皇は突然死んでしまう。(一説には熊襲を攻めた際の戦死とも言う。)

夫の死にあたり、皇后は心を決めた。夫は疑って死んだ。ならば私は神意に従おうではないか。皇后が「霊験があるなら、髪よ、二つに分かれよ!」といって髪の毛を海水につけると、神の意思か、二つに分かれた。覚悟を決めてさっそく髪を男性のようにみずらに結い、鎧で身を固めた。群臣を引き連れ、出発にあたり述べたのが冒頭の言葉である。

迎え撃った新羅王は軍勢に驚き、たちまち降伏する。皇后は大きな犠牲を払うことなく、神託どおりにみごと西方の国を攻略したのである。時に西暦200年、ヤマトタケルが活躍した時代から100年ほどたったころの出来事であった。

実はこのとき皇后は臨月であった。産気づくと、腰に石をはさんで押さえ出産を遅らせたというから、皇后は超人的な力を持っていたものらしい。遠征を成し遂げてから産まれたのが応神(おうじん)天皇である。皇后は天皇として即位こそしなかったものの、応神天皇が成長するまで政権を握った。

政治的手腕を発揮して自ら軍勢を統率した神功皇后は、まさにマリア・テレジアのような女傑であったと言えよう。

     ※      ※     ※

●参考文献
「新編日本古典文学全集 日本書紀」 小学館 注釈・現代語訳つき
「歴史をさわがせた女たち 日本篇」文藝春秋 永井路子 独自の切り口で歴史上の女性たちを紹介
「ハプスブルクの宝剣」文藝春秋 藤本ひとみ アントワネットの母マリア・テレジアが即位したのは23歳、しかも妊娠中。女王が領土を守るためにいかに戦ったかが描かれます。

●神功皇后を訪ねて 
鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)福岡県糸島郡二丈町 皇后の出産を遅らせたという石が祭られています。
明治時代には日本女性として初めて紙幣の肖像になっています。皇后の肖像画は残っていないため想像で描かれたとか。

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2006/05/25 8:00:00 花咲けるやまとなでしこ絵巻 | | トラックバック (0)

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