いつも心に少女マンガ
「ベルばら」体験と川原泉
「ベルサイユのばら」の連載が週刊マーガレット誌上で始まったのは1972(昭和47)年のこと。
それから34年(!!)の年月がたちますが、何度も版を変えて出版され、今日にいたるまで、新しい読者を獲得し続けています。
連載開始当時4歳だった私の「ベルばら体験」は、当然、かなり後になってから単行本でまとめて読む、という形で始まりました。
もちろんそれは私なりに幸せな出あいでしたが、でもときどき、「リアルタイムで雑誌連載を読んでいた、(自分にとって)おねえさん世代読者の『ベルばら体験』」について、ふと思いをはせることがあります。
というのも、今なお読者をひきつける「ベルばら」ですから、雑誌連載時の読者だった当時の少女たちは、さぞやドキドキして連載の続きを待っていたんだろうなあ、と想像されるからです。
それは、「今まさに生まれつつある名作」の誕生に、読者として同時代に立ち会い、熱狂する、という、とてつもなく贅沢な「ベルばら体験」だったはず。
ああ、なんてうらやましい…!!
…とまあ、勝手に想像して激しくうらやんでいるわけですが、一方で、
「連載で読む、ってことは、毎回、『うう、続きが読みたい!』って身もだえしなきゃいけないんだよねー。もどかしいよねー。ある意味、つらいよねー。やっぱり、完結してからまとめて読めた私は、それはそれで幸せだったのかもねー」
と考えて、自分のうらやむ心を納得させてみたり。
ちなみに当時、週刊マーガレットでは、1973年に山本鈴美香氏の「エースをねらえ!」が連載開始。
1973年のマーガレット読者は、なんと一つの雑誌で同時に「ベルサイユのばら」と「エースをねらえ!」という、名作の誉れ高い両作品を読めていたわけで、うーん……たとえ「つ、続きが気になる!」と身もだえしたとしても…やっぱり、リアルタイム読者が、うらやましい…!!
私自身、読者として、(1)「毎週、雑誌で楽しみに読む」体験と、(2)「物語完結後、一気に物語に没入する」体験と、両方それぞれの楽しみを知っていますが、(1)と(2)、どちらも甲乙付けがたいそれぞれの楽しさがあるわけで、読者の心理というのは欲張り、かつ複雑なのでありました。
さて、リアルタイムで読めなかった私たちの世代にとっては、「ベルばら」に接するときにはすでに、ある程度評価が固まった「名作」を読む、という意識になります。
いわば「ベルばら」は、マンガ好きなら知っていて当然な基礎教養となったのでした。
1987(昭和62)年から雑誌「花とゆめ」で連載された、川原泉氏の「笑う大天使(ミカエル)」は、聖(セント)ミカエル学園というお嬢様学校で浮いてしまい猫をかぶっている3人の少女たちが、ある事件で怪力を得てしまい、その力をつかって事件を解決していく、という物語。
3人のなかの一人、背が高くスポーツ万能で凛々しい斎木和音は、お嬢様たちの憧れの的で、「聖ミカエルのオスカル様」と呼ばれています。
当然これは「ベルばら」のオスカルのことなのですが、いまひとつ少女マンガ的教養にうとい当の和音さんは、往年の名作アニメ「あらいぐまラスカル」のラスカルとオスカル様を混同。「オスカル様」と呼ばれると、「私はアライグマではない」と主張したりします。
1980年代は、シリアスな作品に没入するだけではなくて、それを楽しみながらも一方で、冷静に「そんなわけないっつーの」などと「ツッコむ」視点をもった少女マンガも登場してきた時代です。
私は、川原泉さんの、少女マンガらしいリリカルさと妙な冷静さが合体した不思議な味わいの作品が大好きで、ほぼリアルタイムで楽しみに読んでいたのですが、その特徴は、「ツッコミ」を内包する「平熱の視点」だったのかも、と思います。
それは「熱血」が完全にギャグにしかならない、80年代の時代の空気ともシンクロしていて、その視点を一度通過した以上は、その後、作品を読むときには、自分の中に無意識のうちに、「ツッコミ」視点が必ず登場してくることになります。
「ツッコミ」視点が一般的になる前の70年代に、思う存分ロマンに浸れた、という意味でも、やっぱり「ベルばら」のリアルタイム読者は、ある種の特別な体験をされたのではないかなぁ、と思うのでした。(川原和子)
★お便り募集★このコラムをお読みになった皆さんの感想や質問をお待ちしています。 ⇒こちらの「ベルばらKids専用フォーム」からどうぞ。
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2006/10/20 11:08:10 いつも心に少女マンガ | Permalink | トラックバック (0)