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2007年3月13日 (火)

世界史レッスン

メデュース号のスキャンダル 1816年

  ~アントワネット没後23年~

 ナポレオンの失脚により、ルイ16世の弟プロヴァンス伯がルイ18世としてフランスへもどってきた。王政は復古し、亡命貴族たちも続々帰国して、革命で没収された土地財産の賠償を求めはじめる。

 そんな中にショマレーという,革命時に海軍大尉だった貴族がおり、彼は長いブランクをものともせず自己の権利を主張し、海軍中佐に再登録された。

 1816年、フリゲート艦メデュース号が、セネガルの植民地へ兵士や移住者を運ぶことになったとき、ショマレーは艦長に名乗りをあげ、能力主義を主張する人々の反対を押し切って登用される。悲劇はここから始まった。

 案の定、ショマレーは無能ぶりをさらし、船はアフリカ海岸で座礁(ざしょう)沈没してしまう。その後の采配(さいはい)はさらにひどかった。本人はじめ身分の高い者だけさっさと救命ボートで逃げ、他はありあわせの筏(いかだ)を作らせただけで打ち捨てたのだ。

 こうして20メートル×9メートルの筏に、146人の男と1人の女が残された。食べものも飲み水もなく、炎天下で漂流すること13日。たまたま近くを航行していた船に救助されたときには、それがたったの15人に減っていた。そのうち5人は直後に死亡したので、生き残りは147人中わずか10人!

 彼らの証言から、地獄のようなサバイバルの日々が明らかにされた。病死,溺死,餓死,自殺,果ては殺し合いやら人肉食まであったという。

 またも貴族が平民を踏みつけにした。しかも政府はスキャンダルを恐れて、この事件をもみ消そうとはかった。いったい何のための革命だったのかーー怒りに燃えてこれを絵画化したのが、ジェリコーである。彼は乗組員へのインタビューなど丸1年かけて取材し、アトリエに筏の模型を作り、リアリティを出すため死体置き場から死人まで運んできてスケッチを重ねた。

 現在ルーヴル美術館で誰もが足を止める、このロマン主義的悲劇性に満ちた傑作『メデュース号の筏』は、神話でも物語でもなく、いわばジャーナリスティックな体制批判の芸術作品なのだ。

 ばらばらに壊れかけた筏の上で、わずかに生き残った男たちが遠い地平線に見える船の影に必死で手を振る。この迫真の描写に滾(たぎ)る画家の怒りが、見る者の胸を打つ。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/03/13 9:04:27 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第54回目の今日は、「メデュース号のスキャンダル」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/03/1816_7dd3.html#more 名高いジェリコーの『メデュース号の筏』について書いた。この絵を見たルイ18世は不快感を隠そうとしなかったらしい。  絵には描かれていないが、実際の筏の上には食用の人肉片が散らばり、マス�... 続きを読む

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