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2007年4月24日 (火)

世界史レッスン

不吉な予兆あれこれ 1770年

  ~アントワネット15歳~

 「今にして思えばあれはひどく不吉な予兆だった」と感じるようなことが、歴史上にはしばしば見られる。今回はハプスブルク家の18世紀、19世紀、20世紀から1例づつ。

 まずは1770年、マリー・アントワネットの結婚式。彼女の場合は、縁起でもないことが三つも重なった(ベルばらファンは先刻ご承知でしょう)

 ①オーストリアからフランスへの引渡しの場に飾られたゴブラン織りの壁掛けの絵が、王女メディアという最悪のテーマだった(「お役所仕事」参照)。

 ②ヴェルサイユの礼拝堂における式でアントワネットは、結婚契約書へサインしていてぽたりとインクを落とし、大きな染みを作ってしまった。

 ③この夜の式典では、史上最大の花火を打ち上げる予定だったが、それまで晴れていた空にいきなり暗雲たれこめ、ついには雷鳴とどろく大嵐となった。

 それからおよそ100年後の1854年、ハプスブルク650年の歴史でナンバーワンの美女と謳(うた)われる、シシーことエリザベートの結婚式が、ヴィーンのアウグスティーナ教会で執り行なわれた。

 初々しい16歳の花嫁が馬車から降りようとしたその瞬間、彼女の頭を飾っていたティアラが転がり落ちてしまう。これは不幸な結婚生活、暗殺による死を暗示するものだったのだろうか・・・

 さらにそれから50年ほどたった1913年。次期オーストリア皇帝となるはずのフランツ・フェルディナンド大公は、狩猟に出かけて純白のアルプスカモシカを見つける。撃とうとした彼に、現地の案内人は必死でとめた、やめてください、あれは神の使いなので、殺した人間は1年以内に死ぬと言われています、と。

 だが大の狩猟好きのフェルディナンドが、こんな珍しい獲物を諦めるわけもない。彼は制止をふりきってその美しい白獣を撃ち殺し、翌年、サラエヴォで自らもセルビア人青年に撃ち殺された。これが、第一次世界大戦の引き金となったのだ。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/04/24 9:30:00 世界史レッスン | | トラックバック (0)

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