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2007年4月 3日 (火)

世界史レッスン

妻を32年も幽閉したジョージ1世 1727年

  ~アントワネット生誕28年前~

 最悪の夫にして父、そして国民の不人気ナンバーワンのイギリス王といえば、ジョージ1世であろう。『名曲で赦される』で触れたように、彼はドイツ人(ハノーヴァ選帝侯ゲオルク)でありながら、さまざまな政治的思惑からアン女王のあとを継ぐことになった。54歳のときだ。

 戴冠式にイギリスの地を踏んだ彼は、ふたりの愛妾を伴っていた。口さがないロンドンっ子は、さっそく彼女たちにあだ名をつけた。ひとりは「メイポール(五月祭の飾り柱=超やせっぽち)、もうひとりは「エレファント(=超ふっくら)」。どちらもさっぱりきれいではなかった由。

 では王妃はどうしたのか。絶世の美女と名も高い、ゾフィア・ドロテアは?――彼女は北ドイツの古城アールデンに幽閉されていた。この時点ですでにもう20年近く。

 彼らの結婚には苦い前段がある。ジョージ1世の母親は、かつてドロテアの父から婚約破棄されていた。天然痘にかかって顔が醜くなった、というのがその理由だった。ずっと怨みに思っていた彼女は、息子の妻に辛くあたった。

 夫もドロテアを疎(うと)んじ(マザコンだったので美女嫌いとの説まであるが、どうか?)、世継ぎの息子―ジョージ2世―が誕生したあとは、愛妾たちのところへ入り浸りとなる。

 寂しさのあまりドロテアは、スウェーデン貴族ケーニヒスマルク伯爵と愛しあうようになり(なんとなくフェルゼンを思い出してしまう)、駆け落ちの約束をするが、その直前、伯爵は行方不明に。しばらくたって死体が発見された(犯人はおわかりですね)。

 こうしてドロテアは、まさに飼い殺しの運命に陥るのだ。イギリス人が新王を嫌ったのは、彼がろくに英語を話せなかったということ以上に、王妃に対するこの酷(むご)い仕打ちを知っていたからだった。母と引き離された息子もまた父を憎み、親子の不仲は有名だった。

 32年間もの幽閉の後、ドロテアは孤独で無念の死を遂げた。ジョージ1世はその7ヵ月後に亡くなるが、それは妻の呪詛(じゅそ)に満ちた遺書を読んでショックを受けたからと噂された。

 私見だが、こういう男はその程度で死にはしない。単なる病死だろう。(中野京子)

☆my blogでの関連記事「ゾフィア・ドロテアの悲劇」(中野京子の花つむひとの部屋)はこちらです⇒ http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/

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投稿者 中野京子 2007/04/03 9:00:30 世界史レッスン | | トラックバック (0)

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