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2007年4月17日 (火)

世界史レッスン

アンデルセン、占い師のもとへ行く 1819年

  ~アントワネット没後26年~

 ナポレオン戦争の余波で父親を亡くしたハンス・アンデルセンが、母に連れられ、占い師のもとへ行ったのは1819年、14歳のときだった。母は怠け者の息子を立ち直らせたい、夢ばかり追わず現実を見てほしいと願い、占い師に説教のひとつもしてもらいたいと思ったのだ。

 なにしろ極端にロマンティストのハンス少年は、学校もろくに通わず、煙草工場での仕事もすぐやめてしまい、親を手伝うどころか、家で女の子みたいに人形遊びをしたり、歌をうたったりと、ぷらぷら過ごしているうち、何を勘違いしたやら、いきなり「大都会へ出て、歌手かダンサーになる!」と言い出した。

 母はこのひとり息子を溺愛(できあい)してはいたものの、親の欲目で見てさえ顔立ちはぱっとせずーー後年、「デンマークのオランウータン」とあだ名されたほどだーーとうてい舞台に立てる器(うつわ)とも思えなかった。

 このままオーデンセの町にとどまり、仕立て屋にでもなって地道に働いてほしいと頼んでも、「いやだ、ぼくは有名になりたいんだ!」ときかない。貧しい主人公が苦労して成功する物語ばかり読んで、自分もそうなると信じ込んだらしい。

 けれど当時の硬直した階級社会では、アンデルセンのような最底辺の労働者階級で、おまけに学歴も縁故もなく容姿は並み以下の少年が、世に出るチャンスなど万に一つもありはしない。というわけで、親子は占い師の前に座ることになったのだった。

 占い師のご託宣は、驚くなかれ、こうだった。「この子は偉い人になる。いつかオーデンセの町は、この子のためにイルミネーションを飾って祝うだろう」。

 卓越した霊能者だったのだろうか?それとも単に、誰にでもお世辞をいうインチキ占い師にすぎなかったのか?それはわからない。しかし人生の節目にあたり、魂を鼓舞する言葉をかけられたという、この一事だけでも、アンデルセンの強運がわかるではないか。

 彼は母親の見込みどおり、舞台人としては全く相手にされなかったが、童話の王様として世界中に名を轟かせるようになる。そしてもちろんオーデンセは、故郷の英雄アンデルセンのためイルミネーションを飾って祝ったのだった。めでたし、めでたし。(中野京子)

☆関連記事「サッチャー元イギリス首相の宝石占い」はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/ (「中野京子の花つむひとの部屋」)

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「メンデルスゾーンとアンデルセン」:同時代に生きた作曲家メンデルスゾーン、作家アンデルセン、ソプラノ歌手リンドーの3人の出会いと別れを描く。(中野京子著・さえら書房刊)

 

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投稿者 中野京子 2007/04/17 8:45:00 世界史レッスン | | トラックバック (0)

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