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2007年5月22日 (火)

世界史レッスン

山内一豊の妻――西洋男性版 1736年

  ~アントワネット生誕19年前~

 後年、土佐藩主となった山内一豊には千代(実名かどうかの確証なし)という賢夫人がいて、貧しいころからこつこつヘソクリで貯めたお金を「ここぞ」という時に差し出し、夫を出世させたのだそう。立派ですね。

 こういう伴侶は別に女性限定である必要はなく、事実、ヨーロッパには似たような内助の功を発揮した男性がいた。誰あろう、それはマリア・テレジア女帝の、あの全く目立たない夫フランツ・シュテファンだ。

 フランツは小公国ロートリンゲン(=ロレーヌ)の公子にすぎず、本来ならハプスブルク家とは格が釣り合わない。だが何しろテレジアの初恋の人ではあり、彼女の父帝カール6世のお気に入りということもあって、入り婿になった。1736年、新郎28歳、新婦18歳。

 国際政治上、フランツはこの結婚でロートリンゲンを放棄せねばならなかった。豊富な鉄鉱石や水運に恵まれた豊かな土地を失うことがよくよく辛かったらしく、署名を何度もためらったと伝えられる。

 ヴィーン宮廷入りした彼は、陰で「よそのお方」だの「あのよそ者」だのとささやかれ、席順も下位だし、居心地は悪かったようだ。また妻との共同統治者とは名ばかりで、政治外交にも全然タッチさせてもらえなかった。というか、最初のころタッチして無能をさらし、以後、遠去けられたのである。

 では子作りにしか能がなかったかといえば(妻との間に16人、プラス他の女性との間に?人といわれる)、さにあらず、もし彼が現代日本に生きていたなら、起業して六本木ヒルズに住んだのは間違いないだろう。

 政治はだめでも、すばらしい金銭感覚、蓄財能力、そして企業能力であった。小さな村落を買い取っては地場産業を興し、莫大な利益を得てさらに周囲を吸収・拡大という、まさに企業買収で倍々に膨れ上がるヒルズ族の先駆者のようだった。

 こうしてフランツは、オーストリア継承戦争勃発(ぼっぱつ)時、個人資産からぽんと100万グルデンを用立てた(一豊の妻が馬1頭分だったのとは、スケールが違う)。

 それにしてもこの能力の半分でも、娘マリー・アントワネットに引き継がれていたならば・・・(中野京子)

☆関連記事「ハプスブルク家の底意地悪さ」(中野京子の花つむひとの部屋)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/

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投稿者 中野京子 2007/05/22 8:55:19 世界史レッスン | | トラックバック (3)

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