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2007年6月 1日 (金)

アニばら解体新書

“頼れる兄貴”アラン

 原作者の池田理代子先生に「イメージと違う」 (「ベルサイユのばら大事典」(集英社))と言われてしまった「アニばら」アラン。同事典によれば、先生はアニメを最後までご覧になっていないそうですが、最後まで見たら「イメージ」どころではないアニばらアランの変わりっぷりにどう反応されたでしょうか。気になるところであります。

 出会い頭にアンドレ「よう!若いの!」 というアラン。
オスカルとアンドレの恋路を「アンドレ、がんばれ」 と、声に出して応援するアラン。
オスカルに「言ったとおりだろう、隊長。虐げられてきた者は苦しめられれば苦しめられるほど、その分燃えるのさ。おまえさんがた貴族には、そいつがどうしてもわからねえ」 と語るアラン。
そしてラスト。隠居して海のそばで畑を耕してトウモロコシをかじるアラン。
…って、こりゃ別人ですよ! 変わらないのはもみあげばかり。

 アニメのアランは、おおかたの事に関して、オスカルやアンドレより先を見ることができ、彼らを助け導く人物として設定されています。たとえば、アンドレの目が見えなくなってきていることに気づき、「秘密にしてくれ」 と頼まれ、さりげなくアンドレをフォローしたり(第31話「兵営に咲くリラの花」)、オスカルの顔色が悪いことに気づいて、アンドレに伝えたりします(第34話「今“テニスコートの誓い”」)。また、民衆の影響力が大きくなることで、フランスが変わろうとしていることを、オスカルになんども伝えようとしています。

 マンガのガキ大将っぽさはみじんもない、ちょっと先を見て進むべき道を教えてくれる頼れる兄貴分。「教養としての<まんが・アニメ>」(講談社現代新書)で著者のササキバラ・ゴウが「『宝島』のシルバー船長、『あしたのジョー』の力石など、出崎監督のジュブナイル作品には必ず主人公を導いて、どこかへいってしまう兄貴分が登場する」 と指摘しておりますが、アランもそれら出崎世界の魅力的な兄貴分の一人として数えられるでしょう。

 監督得意の造形だけあって、印象的かつ魅力的な行動の多い兄貴アラン。ここでは、原作の事件を踏襲(とうしゅう)しながら、まったく違った味付けがされているオスカル×アランの一騎打ちシーンに注目したいと思います。

 原作での両者の一騎打ちは、閲兵式の際、衛兵隊員に「女だから」 と罵声を浴びせられたオスカルが、隊員を挑発することで始まります。
「身の軽さの分だけ」の僅差の勝利を収めることでアランに勝ったオスカル。アランの男のプライドをオスカルがくじくような形で終わるこのエピソードですが、アニメでは閲兵式の場面、アランは剣を抜きません。ここでオスカルに打ち負かされるのは、名もない衛兵隊員なのです(第29話「歩き始めた人形」)
アランはこの間静観しており、倒れた衛兵隊員をかつぎあげる時に「おれたちが働いているのは、王室のためでもないし、ましてや貴族のためなんかではない」 とオスカルに告げます。

原作通りの対決を行わなかったアニメでは、しかし、新しい形でオスカル×アランの一騎打ちが描かれます。
衛兵隊員が銃を売るエピソード、原作では隊員たちが直接オスカルに叱責されますが、アニメではラサールという隊員が、銃を売ったことに気付かれてしまい、彼一人が憲兵隊に連行されるという展開になっています。「オスカルがラサールを憲兵に売った」 と勘違いしたアランが、部下のため、そして銃を売らねば生きていけない生活者の代表としてオスカルと対決するわけです。
 
 対決はオスカルの勝利となりますが、ここで強調されるのはむしろアランの「俺達は命がけで働いたって家族を養えないんだよ!」 という叫び。恵まれた階層に属するオスカルの目を開かせようとする、啓蒙に近い叫びです。原作と違い、アランは一貫してオスカルを啓蒙するものとして書かれているのです。“第3身分の代表格として、(一応、階級的には貴族ですが)オスカルを認める存在”であり、“アンドレの友人”であるという点は原作と同じですが、解釈が大幅に違うっ!

「『アニばら』では、なぜこれだけアランを変える必要があったのか?」

私は以前、この問いの答えに近づくような、印象的な意見を二人の男性から聞いたことがあります。原作の感想を友人男性(アニメ未視聴)と、弟(アニメ・原作ともに読了済)に尋ねたところ、二人とも同じ趣旨の答えを返してきたのです。

 曰く「革命の話なのに、第3身分の衛兵隊が、第2身分のオスカルに啓蒙されるってのが不自然じゃない? 民衆のための革命じゃなくて“オスカルのための革命”って感じに見えるよ」。

 たしかに原作の革命は“オスカルのための革命”ですが、それは原作が「少女マンガであり、少女マンガは少女の味方をするものだから」。
社会の中で女性であるという理由できゅうくつな思いをしがちな私たちにとって、オスカルが自由のための革命の旗手であるという展開は、とても頼もしいフィクションであり、少女マンガとしての必然なわけです。また、たとえば、白土三平の「カムイ伝」のように、仔細に民衆を描いてしまうと、多くの少女読者から支持を得られなくなるという事情もあったでしょう。

 さて、この考えからいくと、逆にアニメは「少女マンガの必然」から解放されているというふうにも考えられます。「オスカルの革命」でなく「民衆の革命」という側面を強調して、新しく組みなおされた「ベルばら」。それが「アニばら」であり、アランの変更はそのための必然だったと考えられます。少女マンガではない、もうひとつの「ベルばら」のキャラクターとして創造されたアニメの頼れる兄貴。原作とはまったく違いますが、魅力的なアランではないでしょうか?(池田智恵)

《関連情報》
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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2007/06/01 11:00:00 アニばら解体新書 | | トラックバック (0)

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