2013年2月末をもってブログの更新を終了いたしました。 ⇒詳しく
e-book Japan ベルサイユのばら

0228delete -->

« 今週のベルばらKidsは「一人では何もできない」 | トップページ | オスカル様の心の変化 »

2007年6月 5日 (火)

世界史レッスン

臨終の言葉さまざま 1825年

  ~アントワネット没後32年~

 「光を、もっと光を!」--これはゲーテ臨終(りんじゅう)の言葉として名高いが、本人としては別に崇高な意味での「光」を求めたわけではなく、寝室が暗いのでカーテンをもっと開けて光を入れてほしい、程度のことだったらしい。後世のゲーテ信奉者たちが、それを深読みしたのだろう。

 ポンパドゥール夫人が過労から死病にとりつかれ、医者に絶対安静を命じられたとき、何より気にしたのは、「王家と王族以外はヴェルサイユ宮で死んではいけない」という掟だった。死ぬに死ねないとはこのことである。

 けっきょくルイ15世の特赦(とくしゃ)によって、彼女は心おきなくヴェルサイユの寝室で最期を迎えてよいことになった。「ではこのへんで、わたくしをひとりにしてください。さようなら」--覚悟を決めた女性の強さが伝わる。

 覚悟を決めた男っぽい男の言葉としては、断頭台で刑吏に言ったというダントンの、「おれの生首をみんなに見せてやれ。それだけの値打ちがあるんだからな」

 一方、女たらしの代名詞にまでなったカサノヴァの、「わたしは哲学者として生きた。そしてキリスト教徒として死ぬつもりだ」は、意味不明。

 「アーニャ、ぼくは今日死ぬよ」というさりげない言葉を妻に残したのは、幾度も死に直面し、地獄をかいくぐってきたドストエフスキーだった。

 『メデュース号の筏』を描いたジェリコーの最期は、悲痛きわまりない。落馬がもとで33歳の若い命を閉じねばならないと知り、「まだ何もしていない!」と、声をふりしぼったという。

 終わりも「光」で締めくくろう。ナポレオンのモスクワ侵攻を食い止めたアレクサンドル1世(エカテリーナ大帝の孫)は、保養地で突然、病に倒れた。召使にカーテンを開けさせ、燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光を浴びながら、感極まったように、「なんて美しい日だろう!」。 (中野京子)

☆関連記事「フランス王は自分のベッド以外で死んではならない」(中野京子の花つむひとの部屋)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/

☆関連記事「世界史レッスン:絶対君主たちの臨終シーン」もどうぞ⇒

お便り募集このコラムをお読みになった皆さんの感想や質問をお待ちしています。 ⇒こちらの「ベルばらKids専用フォーム」からどうぞ。

投稿者 中野京子 2007/06/05 8:50:46 世界史レッスン | | トラックバック (1)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/165303/15320913

この記事へのトラックバック一覧です: 臨終の言葉さまざま 1825年:

» フランス王は自分のベッド以外で死んではならない(世界史レッスン第66回) トラックバック 中野京子の「花つむひとの部屋」
朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第66回目の今日は、「臨終の言葉さまざま」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/06/post_85b7.html#more  ゲーテ、ポンパドゥール夫人、ジェリコー、アレクサンドル1世、カサノヴァなどの最期の言葉について書きました。  ルイ15世もトリアノン宮で天然痘に倒れたとき、周囲を大混乱に陥れた。なにしろ「王はヴェルサイユ宮の自分のベッド以外で死んではならない」という条... 続きを読む

受信: 2007/06/05 9:31:05