天の涯から―東欧ベルばら漫談
恋人たちの夏時間~今宵一夜、あなたと~
ヨーロッパは日本より高緯度に位置するため、冬は夜が長いのですが、逆に夏の日照時間は最も長い時で17時間にも及びます。
とりわけ現代は、サマータイム制度(1916年、省エネや余暇の充実等を目的にドイツで始まりました)によって時計の針が通常より1時間早く進みますから、夏至の頃には、午前4時には早々と夜が明け、夜は9時を過ぎても遠くの山がはっきり見えるほど明るく、町の広場も夕涼みのビールを楽しむ人々で大変賑わっています。夏のこの時期、「夜」と言えば10時以降を差し、「10時になったから帰ろう」ではなく、「さあ町に繰りだそう」なんですね。
『ベルばら』の時代には、サマータイム制度はありませんでしたから、日暮れは夜9時頃でしょうか?それでも夜が短いことに変わりはなく、夏に限って言えば、「夜通し遊んだ」といっても、実際には深夜から明け方までの数時間、「ちょっと遊んだ」ぐらいの感覚だったのではないでしょうか。
それに、この時期を逃せば、長く陰鬱な冬があっという間にやって来ますから、「日の長いうちに遊ばにゃソン、ソン」 という気分になって、夏の夜はついつい弾けてしまいます。この時期は、ビア・パーティーやグリル、サイクリングや屋外コンサートなど、まるで秋と冬の分の楽しみを先取りするように、遅くまで屋外で遊ぶ人が本当に多いのです。
ですから、マリー・アントワネットの時代、深夜から明け方にかけて、王侯貴族が遊びふけった気持ちがよく分かるのです。もちろん、冬も同じように遊び回っていたかもしれませんけど、夏の夜遊びはまた格別だったのではないかな、と。
このように、ヨーロッパ独特の気候や時間感覚を想像しながら『ベルばら』を読むと、またひと味違った風景が見えてくるのではないかと思います。
たとえば、三部会が開かれ、バスティーユ襲撃へと至る過程は5月から7月にかけて、気候も良く、日照時間もどんどん長くなる頃です。この季節なら、パリの人々も夜遅くまで広場で集会を開いたり、会議の様子を見に出かけたり、街角で新聞やビラを回覧したりと、一日中活動しやすかったのではないかと思います。日照時間が長いと、気分的にもハイテンションになりますしね。
革命が起きたのは『夏』のせいだとは言いませんが、それも大いに一役買ったのではないか――と、私は楽しく想像しているんですよ。
が、一方で、この時期の夜の短さは、一時の逢瀬を楽しむ恋人達には非情なものだっただろうと思います。早く会いたくても夜はなかなか更けないし、朝は早々と白んで、恋する二人を否応なしに引き裂いてしまうのですから。
夜遊び大好きのマリーも、フェルゼンとの逢瀬に際しては、夏の夜の短さがさぞかし恨めしかったことでしょう。許されざる恋には夜の闇だけが優しく、昼の光の中では自分を偽って生きていかなければならないのですものね。
そしてまた、「愛の夜」と言えば、革命前夜、オスカルがアンドレを自室に呼んで、二人が身も心も結ばれる場面が思い起こされます。
明日はパリに出動という前の晩、オスカルはアンドレに言います。
「今夜、一晩をおまえといっしょに……アンドレ・グランディエの妻に」
幼い頃から共に生きながら、あまりにも近すぎるが為に、その愛の貴さに気付かなかったオスカル。「男として生きること」を貫いてきた彼女が、これまで頑なに身にまとってきた意地やプライド、身分や立場など、いっさいのものを脱ぎ捨てて、アンドレの腕の中に飛び込んでいく感動的な場面です。
しかし、夜の短いこの時期、一晩といっても、「たっぷり一晩中」ではなく、ほんの数時間のことだったんですね。お互いの温もりを深く心に刻む間もなく、夜は早々と明けて、死の戦場と向かい合わなければならなかった二人の気持ちを思うと、切なく感じることもあります。
しかし、そんな夏の夜のひと時に、全身全霊をかけて愛を交わしたからこそ、あの場面は永遠の美しさをもって人の心に響くのでしょうね。
『性』という一つの極みを通して二人が求めたのは、死をも超える一体感であり、それこそが夫婦になる悦びと言えるでしょう。
ヨーロッパの夏の夜は、日本のように蒸し暑くなく、空気は涼やかで、クリスタルのような透明感があります。
ベルサイユの恋人達が過ごした夜も、北の星座が天高く輝き、宝石のように美しかったことでしょう。
同じ星のきらめきを見つめていると、彼らの甘い囁きが今も聞こえてくるようです。(優月まり)
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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/07/12 11:00:00 天の涯から―東欧ベルばら漫談 | Permalink | トラックバック (0)