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2007年7月24日 (火)

世界史レッスン

なんでオレだけ皇帝じゃないの? 1848年

  ~アントワネット没後55年~

 メンデルスゾーンの父は、よく次のように言っていた--「わたしは有名な父と有名な息子をつなぐ、ただのダッシュ記号にすぎない」。

 実際、彼の父モーゼスは、レッシングの戯曲『賢者ナータン』のモデルにもなった著名な哲学者であり、息子フェリックスは、『真夏の夜の夢』や『ヴァイオリン協奏曲』を生んだ著名な作曲家である。

 とはいえ、さきの言葉は決して愚痴や嘆きではなく、むしろ自慢半分であろう。なぜならこの「ダッシュ記号」氏自身、メンデルスゾーン銀行を経営する大実業家だったのだから。

 一方、フランツ・カール大公の場合はどうか?

 祖父はレオポルト2世だ。祖父の兄はヨーゼフ2世(アントワネットの兄)、父親はフランツ1世、兄はフェルディナント1世、自分の長男はフランツ・ヨーゼフ1世(妃は絶世の美女エリザベート)、次男はマクシミリアン1世。

 6人みんな皇帝である。ダッシュ記号どころか、皇帝包囲網だ。なぜ彼だけ皇帝になれなかったのだろう?

 皇帝の地位は、手の届くすぐそばにあった。兄弟はふたりきり。兄フェルディナント1世は血族結婚くり返しの犠牲者で、世継ぎを作れない虚弱さゆえ、早期に退位した。ふつうなら次は、46歳という壮年の彼に順番がまわってくるはずだった。

 ところがここに強力な反対者があらわれる。当時のハプスブルク家唯一の「男」と呼ばれていた、やり手で名高いゾフィー大公妃、つまり自分の妻!である。彼女がメッテルニヒと謀(はか)り、夫ではなく若い息子に断固として皇帝位を与えたのだ。

 1848年、フランツ・カール大公は、自分を飛びこして兄から息子へ王冠がわたるのを、指をくわえて見ているよりなかった。もともと政治センスはゼロだし、この決定に異議を唱えるほどのガッツもないときては、いずれ愚帝(ぐてい)となるのが関の山だったろうが・・・

 その後大公は、政治に関与せず離婚もせず、おとなしく76年の命を全うした。(中野京子) 

☆関連ブログ「皇妃エリザベートの姑」(「花つむひとの部屋」)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006

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投稿者 中野京子 2007/07/24 7:55:52 世界史レッスン | | トラックバック (0)

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