2013年2月末をもってブログの更新を終了いたしました。 ⇒詳しく
e-book Japan ベルサイユのばら

0228delete -->

« 今週のベルばらKidsは「記憶にない場面」 | トップページ | 私も同感です♪おたより »

2007年7月 3日 (火)

世界史レッスン

ハイネの縁起でもない冗談 1833年

  ~アントワネット没後40年~

 19世紀前半のヨーロッパ・オペラ界において、パリでの成功と作品の成功はほとんど同義語になっていた。ナポレオンが創設したイタリア座では、ロッシーニが音楽監督をしており、有望なイタリア人作曲家たちを次々招聘(しょうへい)していた。

 そんなひとりが、『ノルマ』で知られるヴィンチェンツォ・ベッリーニだ。1833年、まだ若い彼は野心満々、パリの社交界にデビューし、貴婦人たちはこの才能ある美青年の周りに群れをなした。

 これを面白からず感じたのが、少し年上の詩人ハインリヒ・ハイネである。彼も同じころデュッセルドルフからパリへ来たばかりでーー自由の都パリには、当時ドイツ人亡命者が8万人以上いたと言われるーー、やはりその才気によってもてはやされていた。

 毒舌家ハイネは『フローレンス夜話』で、ベッリーニを次のようにこき下ろしている、曰く、フランス語がへたで聞くに耐えない、気取ったファッションだ、いい気になっているがほんとうには女性から愛されていない、精神のひらめきが欠けているのを苦悩の色でごまかしている、etc. etc.。.

 なにやら嫉妬心が見え隠れするような・・・。タイプが似ているので、特に気に障(さわ)ったのかもしれない。同書にはまたこうも書かれている。

 「天才にとって、30を4,5歳過ぎたころが一番危険と言われていた。ぼくはベッリーニに、君は天才の資格があるし、危険な年齢に達しているからもうすぐ死ぬぞ、と何度もからかってやった。すると滑稽千万(こっけいせんばん)! こっちは冗談のつもりなのに、彼はひどく気にして、ぼくを悪魔と呼び、悪魔祓いの身ぶりまでするようになった。ベッリーニは生きるということにひどく執着していたのだろう。子どもが暗闇を怖がるみたいに、死を怖がったのだ」。

 滑稽どころではない。「もうすぐ死ぬぞ」というハイネの意地悪なからかいは、ベッリーニにとって不吉な予言そのものだった。なぜならハイネは「やつれたふりをしている」と思っていたかもしれないが、実際にベッリーニは過労でずっと体調が悪かった。長生きできないことも、うすうす感じていた。

 それから2年もたたないうち、ベッリーニは34歳の短い命を終える。ちなみにハイネは(彼を天才と認めない者はいないだろうが)、59歳まで生きた。(中野京子)

お便り募集このコラムをお読みになった皆さんの感想や質問をお待ちしています。 ⇒こちらの「ベルばらKids専用フォーム」からどうぞ。

投稿者 中野京子 2007/07/03 8:41:00 世界史レッスン | | トラックバック (1)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/165303/15634593

この記事へのトラックバック一覧です: ハイネの縁起でもない冗談 1833年:

» 男の嫉妬(世界史レッスン第70回) トラックバック 中野京子の「花つむひとの部屋」
 先週は旅行でブログはお休みしました。  さて今日の朝日新聞「ベルばらkidsぷらざ」連載「世界史レッスン」第70回目は、「ハイネの縁起でもない冗談」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/07/post_75c2.html#more  ハイネはジョークにまぎらして、作曲家ベッリーニへの嫉妬を顕にしている。    嫉妬という漢字はどちらも女偏が使われているが、男のやきもちの方が凄まじいのでは・・・  ハイネに嫉妬されていたベッリーニもまた、同時代... 続きを読む

受信: 2007/07/03 9:20:43