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2007年7月31日 (火)

世界史レッスン

ゲーテの派手な失恋 1823年

  ~アントワネット没後30年~

 温泉保養地として名高いボヘミアのマリーエンバートには、フォン・レヴェツォー未亡人の宏壮な別邸があり、名士たちの宿泊場ともなっていた。ゲーテも毎夏招かれ、1ヶ月ほど滞在するのが常だった。

 1823年、ゲーテは武者震いしつつ出かけたが、それは未亡人の娘ウルリーケに対する2年越しの恋心がつのり、今年19歳になったばかりの彼女に、いよいよ結婚申し込みをするつもりだったからだ。

 彼には自信があったのだろう、プロポーズは仰々しくおこなわれた。自分の君主であるヴァイマル大公に仲介を頼み、大公は全身に勲章をぶら下げて未亡人のもとへおもむいて、ゲーテの意向を伝えた。

 「しばらく考えさせてください」というのが、彼女の返答だった。しかし母娘がこの申し出をどう思ったかは、その後の迅速(じんそく)な行動によくあらわれている。大急ぎでマリーエンバートを出立し、カールスバートへ逃げてしまったのだ。

 ゲーテはどうしたか?追いかけてゆき、母娘が泊まっている同じホテルに宿をとった。そしてウルリーケのやさしい態度に一縷(いちる)の望みをかけ、待ち続けたが、けっきょく明確な意思表示はしてもらえず、泣く泣く諦めて別れるほかなかった。

 畏(おそ)れおおくも枢密顧問官にして大文豪、かのナポレオンさえもファンにしたほどの著名人ゲーテのありがたい申し出を、大して取り得もない19歳の小娘は、いったい全体どうして無視したのだろう?

 答えはかんたんだ。このときゲーテ、74歳!かつての美貌の面影すでになく、太鼓腹の老人であった。

 「天才は、ふつうの人間がたった一度しか持てない青春を何度もくり返して経験する」と、うぬぼれていたゲーテだが、今度ばかりは通じず、派手な失恋となってしまった(この一件を知らされた彼の息子は、いい恥さらしだと怒りまくった)。

 プロポーズ直前、ゲーテはこっそり医者に相談までしていた。それもあってか、ツヴァイクはこう書いている、「悲劇的ではあるが、なにやら牧神じみたところの感じられる、いかにもグロテスクな光景」と--(中野京子)

★「世界史レッスン」に登場したゲーテのエピソード
お役所仕事 1770年
戦争しながら読む恋愛小説 1774年
臨終の言葉さまざま 1825年

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投稿者 中野京子 2007/07/31 8:01:51 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第74回目の今日は、「ゲーテの派手な失恋」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/07/post_dcc2.html  小国とはいえ一国の君主を仲にたててプロポーズしながら不首尾だった、ゲーテの派手な失恋について書きました。  しかしさすが作家の業とでも言うべきか、意気消沈して帰郷する馬車の中で、彼は長詩「マリーエンバートの悲歌」を完成させている。  「不快と悔恨と自責と哀愁... 続きを読む

受信: 2007/07/31 8:39:50