世界史レッスン
決闘した著名人たち(決闘その1) 1870年
~アントワネット没後77年~
決闘の起源は、ゲルマン社会に古くからあった裁判の一形式だといわれている。やがてそれが15世紀末、いわゆる「名誉のための決闘」がフランスで始まり、またたくまにヨーロッパ中にひろがった。
初期の武器は剣が一般的だったが、フランス革命以降はピストルも使われだし、平等をはかるため「双子のピストル」と呼ばれる2丁1組の、決闘専門のピストルまで製造された。
どの国のどの時代の政府もくりかえし禁止令を出したにもかかわらず、決闘はヨーロッパの、とりわけ上流社会の文化のひとつとして、19世紀初頭まで流行し続けた。「双子のピストル」を常備するホテルも各地にあったほどだ。
決闘は侮辱された者の名誉回復手段だったから、厳しい作法や手順がきちんと守られた(そうすることで殺人と区別されたのである)。いくつかヴァリエーションはあるが、白手袋の片方を相手に投げつけるという挑戦方法はよく知られていよう。
ピストルによる決闘では、互いに何歩離れるか、何発づつ撃つかによって、パフォーマンス色の濃いものか、あるいは生死を賭けた真剣なものかが決まった。これについては、互いの介添え人もまじえて条件が設定された。
たとえ形式的な決闘であっても、負傷したり、運が悪ければ死ぬ危険もあるのだから、血の気の多い人間でなければそうはできるものではない。さて、実際に決闘をおこなった歴史上の著名人といえばーー
『水上の音楽』で知られる作曲家ヘンデル、ロマン派を代表する詩人バイロン、『モンテクリスト伯』を書いた文豪デュマ、ワーテルローでナポレオンを破ったウェリントン、稀代(きだい)の色事師カサノヴァ、『カルメン』の作者メリメetc. やはり皆さん、熱血漢ぞろいである。
中でも凄いのは、鉄血宰相とあだ名されたプロイセンのビスマルク。ベルリン大の学生時代に、なんと25回も決闘沙汰に及んだという。こうなればもはや趣味の域か。
意外さという点でいえば、画家エドゥアール・マネ。『草上の昼食』や『オランピア』を描いた、あの印象派の先駆者だ。作品を誉めてくれなかった友人を相手に決闘を挑(いど)み、傷を負わせている。
19世紀も後半の1870年、とうに時代遅れになった決闘などという手段を、しかも分別盛りの40歳近くになって取ったのは、なかなか自分の芸術を認めてくれない世間に対するやつあたりでもあったろうか。
--この項、来週に続く。(中野京子)
《世界史レッスン》関連エピソード
■名曲で赦される―ヘンデル
■フランケンシュタイン誕生前夜―バイロン
■日本のパスポートを持つ白人の「台湾人」―メリメ
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投稿者 中野京子 2007/08/28 8:27:25 世界史レッスン | Permalink | トラックバック (1)
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政治家、軍人、詩人、作曲家、画家・・・ずいぶんおおぜいが決闘沙汰に及んでいたことについて書きました。
「印象派の父」といわれるマネまで決闘していたのには、驚いた人が多いのではないだろうか(印象派絵画と決闘は、イメージ的になかなか結びつかない気がする)。
... 続きを読む
受信: 2007/08/28 9:28:17