2013年2月末をもってブログの更新を終了いたしました。 ⇒詳しく
e-book Japan ベルサイユのばら

0228delete -->

« マリー・アントワネットに愛された画家の住居 | トップページ | 一度なりきってみたい♪おたより »

2007年8月21日 (火)

世界史レッスン

カラマーゾフ兄弟の父は実在した? 1839年

  ~アントワネット没後46年~

 ロシアにおける農奴制は、エカテリーナ女帝のもとで強化され、領主による農奴の人身的隷属(れいぞく)はいっそう過酷なものとなった。

 「農」奴とはいっても、必ずしも畑を耕す農民ばかりを指しているわけではない。18世紀末の新聞広告によれば、コック、仕立て人、御者、画家、さらには「着付けを上手にしてくれる、顔のかわいい16歳の少女」(宣伝文!)などといった、さまざまな人たちが売りに出されていたのがわかる。犬1匹と農奴25人の交換例まである。

 領主はまさに村の専制君主そのものだった。農奴イコール所有財産であったから、財産を増やすため結婚・出産を強制したし、鞭打ちなどの処罰も恣意的(しいてき)におこない、逃亡者には猟犬をけしかけて追った。それでも逃げる者はあとを断たなかったし、暴動もひんぱんに起きた。

 農奴を千人以上もつ富裕な領主はたいてい世襲貴族で、ロシア全体では2%ていどだったといわれる。多くは百人以下の中小領主で、中には論功行賞によって地主貴族に成り上がった者もいた。

 モスクワの貧民病院の医師ミハエルもそのひとりだ。彼は息子たちが10代になったころ、農奴百人の地主の地位を手に入れ、田舎の領地に引っ越した。そしてそこで思うさま、自分の権力を農奴やその娘たちの上にふるい続けた。

 1839年、皆から憎まれ怨まれたこの新地主は、ついに三人の農奴に襲われ、虐殺されてしまう。

 ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に、淫蕩(いんとう)と物欲の権化(ごんげ)、悪魔的なほど堕落しきって、最後は何者かに殴り殺されるフョードル・カラマーゾフという老人を登場させているが、それはこの実在の地主ミハエルをモデルにしたのだろうか?

 恐ろしいことに、ミハエルの姓はドストエフスキー。そう、かの文豪の実の父であった。

 当時18歳だったドストエフスキーは、ペテルブルク工兵学校にいて父殺害の知らせを受けた。持病の癲癇(てんかん)はこのとき発症したとも、これ以降決定的に悪化したとも言われている。(中野京子)

《世界史レッスン》関連コラム
銃殺刑を言い渡されたドストエフスキー

★中野京子さんの新刊情報★
本が出ました!
「怖い絵」(朝日出版社/価格1,890円)
 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』のような見るだけでも怖い絵から、ドガの踊り子など、一見しただけではどうして?と思うような絵まで、20の作品に潜む怖さを紹介する、この夏ドキドキの名画ガイドブックです。

詳細はこちら
book.asahi.com で詳細を見る

お便り募集このコラムをお読みになった皆さんの感想や質問をお待ちしています。 ⇒こちらの「ベルばらKids専用フォーム」からどうぞ。

投稿者 中野京子 2007/08/21 8:10:48 世界史レッスン | | トラックバック (1)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/165303/16187285

この記事へのトラックバック一覧です: カラマーゾフ兄弟の父は実在した? 1839年:

» 『カラマーゾフの兄弟』、モーム式読み方(世界史レッスン第76回) トラックバック 中野京子の「花つむひとの部屋」
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第76回目の今日は、「カラマーゾフ兄弟の父は実在した?」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/08/post_cfc5.html#more  領地の農奴たちに虐殺された、元医師の地主にまつわるエピソードについて書きました。  ところでドストエフスキー最高傑作とされる『カラマーゾフの兄弟』だが、三島由紀夫は次のように言っている、  「『カラマーゾフの兄弟』のような、おそろしい... 続きを読む

受信: 2007/08/21 8:49:30