世界史レッスン
カラマーゾフ兄弟の父は実在した? 1839年
~アントワネット没後46年~
ロシアにおける農奴制は、エカテリーナ女帝のもとで強化され、領主による農奴の人身的隷属(れいぞく)はいっそう過酷なものとなった。
「農」奴とはいっても、必ずしも畑を耕す農民ばかりを指しているわけではない。18世紀末の新聞広告によれば、コック、仕立て人、御者、画家、さらには「着付けを上手にしてくれる、顔のかわいい16歳の少女」(宣伝文!)などといった、さまざまな人たちが売りに出されていたのがわかる。犬1匹と農奴25人の交換例まである。
領主はまさに村の専制君主そのものだった。農奴イコール所有財産であったから、財産を増やすため結婚・出産を強制したし、鞭打ちなどの処罰も恣意的(しいてき)におこない、逃亡者には猟犬をけしかけて追った。それでも逃げる者はあとを断たなかったし、暴動もひんぱんに起きた。
農奴を千人以上もつ富裕な領主はたいてい世襲貴族で、ロシア全体では2%ていどだったといわれる。多くは百人以下の中小領主で、中には論功行賞によって地主貴族に成り上がった者もいた。
モスクワの貧民病院の医師ミハエルもそのひとりだ。彼は息子たちが10代になったころ、農奴百人の地主の地位を手に入れ、田舎の領地に引っ越した。そしてそこで思うさま、自分の権力を農奴やその娘たちの上にふるい続けた。
1839年、皆から憎まれ怨まれたこの新地主は、ついに三人の農奴に襲われ、虐殺されてしまう。
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に、淫蕩(いんとう)と物欲の権化(ごんげ)、悪魔的なほど堕落しきって、最後は何者かに殴り殺されるフョードル・カラマーゾフという老人を登場させているが、それはこの実在の地主ミハエルをモデルにしたのだろうか?
恐ろしいことに、ミハエルの姓はドストエフスキー。そう、かの文豪の実の父であった。
当時18歳だったドストエフスキーは、ペテルブルク工兵学校にいて父殺害の知らせを受けた。持病の癲癇(てんかん)はこのとき発症したとも、これ以降決定的に悪化したとも言われている。(中野京子)
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投稿者 中野京子 2007/08/21 8:10:48 世界史レッスン | Permalink | トラックバック (1)
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朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第76回目の今日は、「カラマーゾフ兄弟の父は実在した?」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/08/post_cfc5.html#more
領地の農奴たちに虐殺された、元医師の地主にまつわるエピソードについて書きました。
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「『カラマーゾフの兄弟』のような、おそろしい... 続きを読む
受信: 2007/08/21 8:49:30