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2007年9月11日 (火)

世界史レッスン

ヴェニスから来た赤毛の司祭、謎の死 1741年

  ~アントワネット生誕14年前~

 ザルツブルクから勇躍ヴィーンへ出たモーツァルトは、この地でおびただしい数の作品を産み、高収入を得ながら、1791年、謎だらけの死を遂げたあげく、貧民墓地へ葬(ほうむ)られた。

 そのちょうど半世紀前の1741年、やはり多作で富裕なひとりの音楽家がヴェニスからヴィーンへやって来て、似たような謎の死を迎え、同じく貧民墓地に埋葬されている。バロックの代表作『四季』で知られる、アントニオ・ヴィヴァルディだ。

 ヴィヴァルディは燃えるような赤い髪を持っていたため、「赤毛の司祭」とあだ名されていた。25歳で司祭に叙任(じょにん)されたのだがミサはせず、ヴェニスのピエタ慈善院付属音楽院(身寄りのない少女たちのための施設)で音楽教育にたずさわった。

 彼の指導のもと、この音楽院のレベルも人気も非常に高く、旅行中実際にコンサートを聴いたルソーも、こう書き残している――「これほど心をうつ音楽はない。みごとなテクニック、美声、正確な演奏・・・作曲と指揮はイタリアの大家」。

 そう、若くからヴィヴァルディの名声は、ヨーロッパ中に鳴り響いていた。合奏協奏曲集『四季』もアムステルダムでの出版だったし、デンマーク王フレデリック4世やハプスブルク家のカール6世などに作品を献呈し、多額の報奨金も受けている。オペラ劇場の経営にも辣腕(らつわん)をふるった。

 しかし聖職者としてはどうか? たいへんな浪費家のうえ、持病の介護のためと称しておおぜいの女性たちを周りにはべらせ、いい意味でも悪い意味でも、彼の行状(ぎょうじょう)は有名で敵も多かった。

 そうしたことと何か関係あるのだろうか? 人気絶頂にいたヴィヴァルディは、62歳で突然ヴェニスを去り、ヴィーンに少なくとも1年以上滞在の後、死因もはっきりしないまま亡くなった。

 記録では、カール教会近くのシュピタール・ゴッドザッカー(現在はもうないので、彼の墓は行方知れず)に、最低ランクの埋葬費用で葬られている。

 いったい彼に何が起こったのだろう? あれほどの人気と財産があったはずなのに、異郷の地で貧民墓地に入れられねばならない、どんなわけがあったのか? モーツァルトの場合と同じほど深く黒い闇が、ここにも無気味に横たわっていそうだ。(中野京子)

《世界史レッスン》関連エピソード
~モーツァルト~
膝にのったメヌエット
モーツァルト・ジュニアの挫折

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投稿者 中野京子 2007/09/11 7:55:16 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第79回目の今日は、「ヴェニスから来た赤毛の司祭、謎の死」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/09/post_3461.html#more  『四季』(イ・ムジチ合奏団の演奏で名高い)を作曲したヴィヴァルディが、モーツァルトと同じく、ヴィーンの貧民墓地へ葬られたエピソードについて書きました。  モーツァルトとヴィヴァルディには共通項が多い。天才性、若くしての名声、人気、派手... 続きを読む

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