2013年2月末をもってブログの更新を終了いたしました。 ⇒詳しく
e-book Japan ベルサイユのばら

0228delete -->

« 今週のベルばらKidsは「騎士なき時代に」 | トップページ | 秋の長湯にイケメン入浴剤! »

2007年9月 4日 (火)

世界史レッスン

決闘で若死にしたプーシキンとガロア(決闘その2) 1837年

  ~アントワネット没後44年~

 先週あげた著名な決闘経験者たちは、いずれも負傷したり負傷させられたりはしたものの、命のやりとりまではしていない。だがフランスの天才数学者ガロア--相対性理論にも影響を与えたとされる--は、ひとりの女性をめぐって決闘となり、わずか20年という若すぎる命を終えている。

 ガロアの死から5年後の1837年、サンクト・ペテルブルクでも、ロシア近代文学の父とされるプーシキンが決闘に散った。37歳だった。

 ロシア人は長らく決闘を「ヨーロッパの野蛮な風習」として軽蔑していたが、ピョートル大帝が国の西欧化を強引に推し進めた際に、この「野蛮な」文化まで入りこんでしまい、18世紀から19世紀はじめまで、貴族間で大流行するようになった。プーシキン自身が『エウゲニ・オネーギン』の中に、非劇的な決闘シーンを描いているのも皮肉としか言いようがない。

 プーシキンの決闘のきっかけは、彼の美しい妻だった。社交界の花と謳(うた)われた彼女に、近衛将校ダンテス(フランス人だった)がしつこく言い寄って、夫であるプーシキンを挑発し、ついに決闘を申し込まざるを得ない立場に追い込んだのだ。

 双方の介添え人たちが署名した契約書が残されており、それによればこの度(たび)の決闘が、死を賭(と)した真剣なものだったとわかる。互いの指定線までの間隔が、「高貴なる距離」と呼ばれた10歩(!)しかなかったのだ。

 まず決闘者たちは20歩の距離をおいて立つ。合図があってから歩き出してピストルを撃つが、5歩以上歩いて指定線を越えるのは許されないし、撃ったあとその場を動いてはならない(相手からの射撃を同じ条件で受けるため)。結果がでなければ、もう一度はじめからやり直す。

 こうしてプーシキンは射撃の名手ダンテスの放った弾を腹部に受け、2日後に亡くなった。直後、『詩人の死』と題された手書きの詩が町じゅうにばらまかれたが、そこには、この決闘が権力側の陰謀であり、体制批判を続けていた自由主義者プーシキンを抹殺するため、あらかじめ仕組まれたものだったことが暴露されていた。

 著名な作家、美貌の妻、流れ者のフランス軍人、三角関係、決闘--一見ロマンティックなこの事件の裏には、用意周到な政治的策謀があったというわけだ(これは今ではほぼ定説とされている)。

 さらに暗澹(あんたん)となるのは、この詩を書いて糾弾した若いレールモントフ--プーシキンの後継者と言われていた--まで、4年後、決闘で命を落としたという事実である。(中野京子)

《世界史レッスン》関連エピソード
~プーシキン~
ピョートル大帝の黒人奴隷
18世紀ヨーロッパを席巻したフランス語
チャイコフスキーの身に起きたシンクロニシティ
日本のパスポートを持つ白人の「台湾人」

~ピョートル大帝~
父の説教あれこれ
フリードリヒ大王にあこがれた小物
父王に殺されかけた軟弱息子
絶対君主たちの臨終シーン
ワンチャンスをものにする
ピョートル大帝の黒人奴隷
ばればれの変装
宮廷画家の腕次第
そびえる太陽王

★中野京子さんの新刊情報★
本が出ました!
「怖い絵」(朝日出版社/価格1,890円)
 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』のような見るだけでも怖い絵から、ドガの踊り子など、一見しただけではどうして?と思うような絵まで、20の作品に潜む怖さを紹介する、ドキドキの名画ガイドブックです。

詳細はこちら
book.asahi.com で詳細を見る

お便り募集このコラムをお読みになった皆さんの感想や質問をお待ちしています。 ⇒こちらの「ベルばらKids専用フォーム」からどうぞ。

投稿者 中野京子 2007/09/04 8:38:52 世界史レッスン | | トラックバック (1)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 決闘で若死にしたプーシキンとガロア(決闘その2) 1837年:

» 「20歳で死ぬのは勇気がいる」−−ガロア(世界史レッスン第78回) トラックバック 中野京子の「花つむひとの部屋」
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第78回目の今日は、「決闘で若死にしたプーシキンとガロア」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/09/post_5c36.html#more  先週に引き続いての決闘エピソードです。  プーシキンは決闘に出かける直前、友人と<文学カフェ>(リチェラトゥール・カフェ)でお茶を飲んだと言われている。しかしどうやらこれはほんとうではなく、単にここは彼の行きつけのカフェだったというだ... 続きを読む

受信: 2007/09/04 9:44:01