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2007年9月 7日 (金)

アニばら解体新書

自立のための戦いではなく

 アニメ版「ベルばら」が苦手という方が、その理由を述べるとき、必ずと言っていいほど登場するセリフがあります。

 第38話「運命の扉の前で」。1789年7月13日の朝、出立を前にしたオスカルが、衛兵隊員たちに語るセリフです。

 「私の考えを言おう。いや、私は自分の取るべき道をのべる。全く個人的にだ。
私は今、この場で諸君の隊長であることをやめる。なぜなら私の愛する人、私の信ずる人が諸君と同じように民衆に対し発砲をしないと思うからだ。私はその人に従おうと思う。その人が民衆とともに戦うというなら私は戦う。諸君、私はアンドレ・グランディエの妻となった。私は夫の信ずる道をともに歩く妻となりたい。
アンドレ、命じてくれ。アンドレのゆく道は私の信ずる道だ。」

ああ、これは本当にアニメ版「ベルサイユのばら」であって、少女マンガ「ベルサイユのばら」ではないんだな…。そう視聴者に思わせるのに十分な発言でした。
 
 そうじゃないんですよ、出崎監督。ベルばらは少女たちにとってオスカルが自由を手に入れるまでの話なんです。結婚することで名字を変えざるを得なかったり、女性だという理由で就職試験に落とされたりする少女たちは、“自由を手に入れようとする存在”だからこそオスカルに憧れたんです。彼女は絶対“従う”とか“命じてくれ”とか言いません。だってそれは、普段きゅうくつな決まりに縛られている少女たちにとって「また元のきゅうくつな世界に戻りなさい」と言っているのと同じことですから……。思わずそんなことをつぶやいてしまいました。

 誤解の無いように断っておきますが、作品を見る限りでは出崎監督や制作スタッフの方々は、オスカルアンドレたち、そしてベルばらという物語に強い愛情を持って制作に望まれていると思います。決してベルばらという物語をおとしめるつもりはないでしょう。

 しかし、アニメには原作が持っていた「少女の人間としての自立」というテーマがばっさり抜け落ちてしまっています。どうしてアニメはオスカルの自立を描けなかったのでしょうか? それはアニメにおける革命の描写と関わりがあるように思います。

 これまでも何度か書いてきましたが、アニメではアンドレアランオスカルに人権思想や社会の現状を啓蒙する演出を取っています。この演出により、アンドレはより社会性のある存在になり、原作とは違った魅力を手に入れますが、結果的にこの演出がオスカルの成長を阻害している感があります。

 原作のオスカルは、常に自らの選んだ道を進むキャラクターとして描かれています。自主的に数々の思想書を読んでいますし、ジェローデルとの結婚騒動の後は、自ら武官として生きる決意を父に表明しています。

また、アンドレを受け入れることで個人として身分差を乗りこえ、革命に身を投じることで社会的にも人間を縛る鎖を取り払おうとします。
フランス革命という実在する歴史のドラマと同時に進行する、自由を手に入れようとする女性のドラマ。結果的に彼女はバスティーユで死ぬことになりますが、むしろそのことは、オスカルと彼女が体現した革命を神聖視させることになります。革命のはじまりという栄光の瞬間に消えてゆき、その後に起きた、ジャコバン党の独裁など経験せずにすんだことで、ベルばらの革命は現実よりずっと純度の高い“自由”を表現しています。現実ではないけれど、現実に生きていた人々の心にあったであろう理想が「ベルばら」の中には描かれています。原作のオスカルは、だからこそ少女たちにとっての憧れの存在だったのです。

 しかし、アニメのオスカルの行動は、原作に比べるとアンドレに導かれて物事を決断しているように見えてしまい、“自らの選んだ道を”という信念を原作ほど強く感じとることができません。また、サン・ジュストロベスピエールを、原作にはないアプローチで描写したことで、革命のもたらす自由のイメージも薄まっています。
アニメのフランス革命は、むしろ歴史の中で繰り返される悲喜劇のひとつと感じられるように演出されており、オスカルの死も歴史の栄光の裏にある悲劇のひとつとして描かれています。

原作ではバスティーユにあがった旗を見ながら、微笑みを浮かべて死んでいくオスカルですが、アニメではバスティーユ陥落を見ることなく、「アデュウ」 と言い残して事切れてしまいます。死の直前、アニメのオスカルのまぶたに浮かぶのはフランスの未来を象徴する白旗ではなく、アンドレの顔。死の間際に愛する人の顔を思い浮かべるというアニメの死は英雄としての死ではなく、歴史に翻弄される個人の死です。

 このオスカルの死の描写が、中盤から徐々に原作と違った道をたどっていったアニメが示した、新しい「ベルサイユのばら」という物語を象徴している感があります。
 出崎監督は、少女たちの自由への憧れだったオスカルを描くことはできず、よりによって「従う」「命じてくれ」と言わせてしまいましたが、まったく新しい歴史物語として、ベルばらを描くことには成功したのです。

 オスカルの死は、アニメと原作で大きく評価の分かれるベルばらの最大の見所かもしれません。(池田智恵)

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2007/09/07 11:00:00 アニばら解体新書 | | トラックバック (0)

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