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2007年9月18日 (火)

世界史レッスン

悲劇の王妃ゾフィア・ドロテアの孫が、あの・・・ 1712年

  ~アントワネット生誕43年前~

 「妻を32年も幽閉したジョージ1世」で書いたように、悲劇の王妃ゾフィア・ドロテアは、息子(後のジョージ2世)が11歳、娘が9歳のとき引き離され、それきり面会さえ許されなかった。

 月日は流れ、その娘ゾフィア・ドロテア(母と同名)は21歳になり、母同様、気に染まない政略結婚をさせられる。相手は3歳年下の従弟で、プロイセン王の世継ぎ(後のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世)だった。

 彼女はベルリン宮廷を優雅なルイ14世風にしようと努力したが、とうてい叶(かな)うはずもなかった。夫はモリエールの戯曲『守銭奴(しゅせんど)』の主人公そっくりなばかりでなく、朝から晩まで軍服を着用、教養など邪魔なだけだと公言し、無節制こそ男らしいと信じるマッチョ・タイプだったのだ。

 宮廷全体が粗野でがさつだったからだろう。結婚後すぐ生まれた長男と次男が、ともに誕生日を迎える前に早逝した理由について、国じゅうでこんな噂がささやかれた。

 長男のときは、祖父が揺りかごのそばで誕生祝の礼砲を鳴らしたため、赤ん坊がひきつけを起こしてまもなく亡くなった。次男のときは、まだ首もすわっていないのに、父親から金の冠をかぶせられたのが命取りになった、と--

 現実にそんな非常識がおこなわれたどうかは定かでないが、相次ぐ息子の死に母親が強烈な危機感を持ったことだけは確かだ。彼女は1712年、3男を産むと、この子だけは何があっても決して乳母まかせにしないと決めた。荒々しい環境から身をもってかばい、しきたりに従うことなく我が手で、溺愛して育てた。

 こうしてジョージ1世とゾフィア・ドロテアの孫である赤ん坊は、無事、成人した。母親譲りのフランスかぶれのため、父親からは「この軟弱者」と罵られつつ、やがてはその父をはるかに追い越し、プロイセンの、いや、ドイツの歴史を大きく変える、あのフリードリヒ大王になったのだ。(中野京子)

《世界史レッスン》関連エピソード
~フリードリヒ大王~
父王に殺されかけた軟弱息子
18世紀ヨーロッパを席巻したフランス語
マリー・アントワネットの愛読書
フリードリヒ大王にあこがれた小物
どんどんよくなるプロイセン3代目
父の説教あれこれ

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投稿者 中野京子 2007/09/18 9:00:00 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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