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2007年10月 2日 (火)

世界史レッスン

兄弟3人、みんな王にはなったけれど・・・ 1830年

 ~アントワネット没後37年~

 太陽王ルイ14世は、ひとり息子やふたりの孫より長生きしたので、あとを継いだルイ15世は曾孫(ひまご)だった。こちらも息子より長生きし、16世となったのは孫である。

 16世には1歳下の弟プロヴァンス伯と、3歳下の弟アルトワ伯がいて、激動の歴史のなか、3人兄弟全員フランス王となる運命が待っていた。

 平穏な世であれば、ルイ16世とマリー・アントワネットとの間に生まれた息子が次王だったはずだが、少年はルイ17世という名前だけ残して、無惨で緩慢(かんまん)な殺され方をしてしまう。そのため王政復古のあと、まずプロヴァンス伯に王冠がまわってきた。ルイ18世の誕生だ。

 ツヴァイクの『マリー・アントワネット』によれば、「陰謀の黒いモグラ」たるこの18世は、王位につくため甥の17世を見殺しにした疑いさえかけられている。そうまでして手に入れた玉座なのに、途中ナポレオンの百日天下に尻尾を巻いて逃げ出すなど、人気もなければ実権も乏しいまま、子孫を残さず10年後に病死。

 いよいよそのあとをアルトワ伯が継ぎ、シャルル10世となった。かつてのアントワネットの遊び仲間も、この時すでに69歳。兄よりさらに反動的な政治をおこなって、国民の憎悪を買うことになる。

 不思議な因縁といおうか、悪縁というべきか、新王が任命した首相は、あのポリニャック夫人(アントワネットを悪い遊びに引き入れたとされる美貌の女官)の息子だった。しかも彼の内閣が目指したのは、太陽王時代の絶対王政という、はなはだしく時代錯誤的なものだったから、1830年7月、またもパリで革命が起こったのは必然であったろう。

 75歳のシャルル10世は、今度こそ2度と戻れぬ亡命を余儀なくされるのだが、そこへ至るまでの危機感のなさは兄弟共通で、7月革命勃発(ぼっぱつ)時、シャルル10世は宮殿でのんびりトランプをしていたという。

 バスティーユ陥落(かんらく)時の、ルイ16世のエピソードが思い出される。--「バスティーユが襲撃されました。司令官が殺され、彼の首が槍の先に突き刺されてパリ中にさらされております」。「それは反乱ということか」。「いいえ、陛下、革命でございます!」。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/10/02 8:30:45 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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