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2007年10月25日 (木)

天の涯から―東欧ベルばら漫談

国境まで50キロ~ヴァレンヌ逃亡の無念~

 私がポーランドに来てから一番エキサイティングだった出来事は、車でスロヴァキアの国境を越えた事でした。
 高速道路の料金所みたいな国境管理局でパスポートにスタンプを捺してもらい、ゲートをくぐれば、もうそこはスロヴァキア。標識も看板も言葉も通貨も法律も、まったく異なる世界が開けているのです。
 目に映る風景はほとんど変わらないのに、ちょっと国境を越えただけで「外国」になってしまうのは、島国育ちの私には新鮮な体験でした。

 わけても印象的だったのが、スロヴァキアとの国境沿いを流れるDunajec(ドゥナイェツ)川のリバークルーズです。ポーランドの湖から流れ出るこの川は、約18キロメートルに渡ってスロヴァキアと国境を接した後、大きく蛇行して再びポーランド領に戻ります。
 ゆえに川沿いの遊歩道も両国にまたがっており、国境部には両国の国旗が掲げられた丸太小屋のような出入国審査所があって、EU加盟前はたとえ散歩といえどもパスポートの提示が義務づけられていたのです。(加盟後は身分証の提示のみになっています)。
 また幅10メートルほどの川を挟んで、こっちがポーランド領、あっちがスロヴァキア領になっている場所も多く、深夜、川の浅瀬を渡って、ポーランドからスロヴァキアの居酒屋にこっそりビールを飲みに行く人もあるのだとか。スロヴァキア通貨の方が若干弱いので、ポーランド人にはお得なんですね。船頭さんの話では、どこからか監視しているそうですが、いまだかつてこれで逮捕された人はいないそうです。(でも真似しちゃダメですよ)

 が、こんなエピソードも、見方をかえれば、地続きヨーロッパではいかに隣国の脅威にさらされてきたかという事でもあります。
 たとえば、ある日突然、川向こうに何万という軍隊が現れて攻め込んで来たら、無防備な国境沿いの町はひとたまりもないでしょう。

 池田理代子先生の「天の涯まで ~ポーランド秘史~」では、18世紀末、国土分割をめぐってロシアと対立してきたポーランドが、首都ワルシャワを流れるWisła(ヴィスワ)川の対岸から2万ものロシア軍に侵攻され、市民の大量虐殺の後、国王スタニスワフ・アウグストは退位、ロシア、オーストリア、プロイセンによって国土は完全に分割され、ポーランド王国そのものが消滅してしまう過程が詳細に描かれています。
 歴代のヨーロッパ諸国の王が、政略結婚をはじめ、あの手この手で政治的駆け引きを繰り広げてきたのも、油断すれば簡単に国境を突破されるからでしょうね。

 「ベルばら」では、革命によって身の危険を感じた国王一家が、フェルゼンの手引きによってマリーの故郷であるオーストリアに逃亡を試みます。
 「にせの旅券と馬車の用意をして、国王一家をパリからおつれいたします。シャロンにつけばそこから国境まではブイエ将軍の管轄ですから、将軍がご一家をお守りするでしょう」
フェルゼンの不眠不休の働きにより、逃亡計画は着々と進められ、1791年6月20日、国王一家はテュイルリー宮からの脱出に成功します。
 ところが、「手綱をとったフェルゼンが馴れないパリの町に2時間以上も迷ったこと」「村人の不審をかった軍隊が勝手に引き揚げてしまったこと」などから、国王一家は孤立無援となり、ついに国境付近のヴァレンヌという小さな町で捕らえられてしまいます。

 ヴァレンヌからオーストリア国境までわずか50キロメートル。
 車で飛ばせば1時間もかかりませんし、大型馬車でも3~4時間ほどで辿り着ける距離です。
 なのに、あと一歩のところで村人に見破られ、逃亡を断念せざるを得なかった国王一家の無念――とりわけフェルゼンの嘆きは計り知れないものだったでしょう。
 その19年後、「フェルゼンが自分の罪の日としてあんなにも呪い続けた」ヴァレンヌ逃亡と同じ日に、彼を憎む民衆の手によって虐殺されたことは、単なる偶然とは思えない運命的な深さを感じます。

 この事件をきっかけに、それまで国王擁護の立場をとっていた多くの国民も国王不要論を支持するようになり、王と王妃の死刑を決定づける要因となりました。
 もし彼らが逃亡に成功していたら、フランス革命の有り様も随分違っていたでしょうし、最初から逃亡など企てず国民に歩み寄っていれば、生き延びる道もあったかもしれません。
 あと50キロメートルの道程を、なぜ歴史は彼らに国境を突破させなかったのか――。そう考えると、やはり彼らは死をもって国家の礎となることを運命づけられた人々だったのかと哀しく感じます。

 「国境」。それは古来より幾多の災いの源である一方、希望と幸運の扉でもありました。
 人類初の宇宙飛行を成し遂げた旧ソ連のガガーリン少佐は、「地球は青かった」 という名言と共に、「そこに国境は見えなかった」 という言葉を残しています。実際、大地に引かれたわけではない国と国の境をめぐって、血を流し、希望を抱き、無念をかみしめてきた人々のことを思うと、ガガーリンでなくても、歴史の悲哀を感じずにいられないのです。(優月まり

(付記)
Peniński Park Narodowy(ペニニスキ国立公園)のリバークルーズに関するサイト
リバークルーズ観光のアルバム

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2007/10/25 11:00:00 天の涯から―東欧ベルばら漫談 | | トラックバック (0)

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