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2007年10月23日 (火)

世界史レッスン

醜貌を親に疎まれ 1736年

  ~アントワネット生誕19年前~

 家康の6番目の男子、忠輝は、容貌がきわだって劣っていたという。生れ落ちた瞬間もう家康から、「この子は捨てよ」と言われたし、晩年にも、「御丈は低く、御眼は大きく逆つりて、すさまじき御容態に御座候(そうろう)」と書かれているほどだ。

  嫌がられ、疎(うと)まれて育ち、生母以外、誰も味方はいなかった。そして大阪夏の陣。戦に遅参した忠輝は家康の逆鱗(げきりん)に触れ、とりなす者もいなくて、生涯追放の身となってしまう。妻とも離縁し、数人の家臣だけを連れ、越後、伊勢、飛騨と移り住み、最後は寂しく諏訪の地で生涯を終えている。

 一方、ルイ14世の落とし胤(おとしだね)と噂されるオイゲン・フランツ、通称オイゲン公の場合。彼もまた小柄で醜貌(しゅうぼう)、親に疎まれる、というハンデを背負ったが、にもかかわらず自力で運を切り開き、忠輝とは正反対の人生を歩んだ。

 最初オイゲンは、自国フランス軍に入隊を希望して拒まれる。14世に邪魔されたからと言われるが、それよりむしろ当時の将校クラスに要求された「家柄、容姿、体格」3点セットをクリアしていなかったのが理由だろう。オイゲンが誇れるのは、家柄だけだったからだ。

 その後、周囲から僧院に入るよう勧められるにいたり、パリ脱出。向かった先はフランスの敵国オーストリアだった。オイゲンは無事、ハプスブルク家の竜騎兵連隊長となる。

 折からヴィーンはトルコに包囲され苦戦していたが、オイゲンの活躍で開放され、彼自身も順調に出世して、たちまちのうちにオーストリア軍有数の将軍のひとりになってゆく。

 オイゲン公の活躍はヨーロッパ中に鳴り響き、数多(あまた)の戦いで彼に煮え湯を飲まされたルイ14世は、さぞかし臍(ほぞ)を噛んだことだろう。逆にオイゲンの方は、すっかり溜飲(りゅういん)を下げたに違いない。

 1736年、フランス人オイゲンは、オーストリアの伝説的猛将として、ヴィーンのシュテファン大寺院に埋葬された。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/10/23 8:22:38 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第85回目の今日は、「醜貌を親に疎まれて」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/10/post_d23c.html#more  家康の子に生まれながら追放された忠輝と、フランス人でありながらオーストリアの猛将となったオイゲン公、ともに醜貌だったふたりの運命の明暗について書きました。  家康は観相学を信じていたとの説があり、忠輝を極端に嫌ったのも、単に醜かったからというより、自分... 続きを読む

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