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2007年11月27日 (火)

世界史レッスン

第九の呪い 1824年

  ~アントワネット没後31年~

 ベートーヴェンが「第九交響曲ニ短調合唱付き」を完成した当時、ヴィーン子が夢中になっていたのはロッシーニのイタリア・オペラだった。新聞評にも、「モーツァルトやベートーヴェンはもう古い。音楽とはロッシーニのオペラのことだと、我々は初めて教えられた」などと書かれるしまつ。ベートーヴェンはむくれた。

 それでなくとも怒りっぽい彼だ。第九はプロイセン王に献呈し、初演はロンドンで行なう、と宣言。あわてたヴィーンの貴族たち30人ほどが署名をつらね、どうか初演の栄誉をヴィーンに与えてください、そのための支援は惜しみません、と頼み込む。

 これでやっとベートーヴェンの機嫌も直り、1824年5月7日、この大作はヴィーンのケルントナートーア劇場で初演される運びとなった。しかしまたまた問題が発生する。本人が自分で指揮するといって聞かないのだ。

 周りははたと困った。なにしろベートーヴェンの難聴は進み、今や完全に聞こえなくなっていたのだから、楽団や合唱団を束ねるなど無理に決まっている。そこで妥協案が出された。前代未聞のことではあるが、指揮台にふたりの指揮者が立つことになったのだ。

 ベートーヴェンは髪ふり乱し、猛烈な身ぶりで指揮をとったが、どんどん曲と動作は離れていった。楽団員たちは彼を無視し、もうひとりの指揮者の指示どおりに演奏を続けた。結果はーー 第2楽章の途中で拍手がわきおこったほど、観客は熱狂した。

 全曲終了後、嵐のような拍手も耳に入らないベートーヴェンは、客席に背を向けたまま放心して突っ立っていた。アルト歌手が進み寄り、彼の手を取ってふり向かせる。そこでようやく自作の大成功を知り、ぎこちなく一礼したのだった。

 この日から3年足らずの後、56歳でベートーヴェンは肝硬変のため亡くなる。交響曲は9作で打ち止めとなり、この第九があらゆる交響曲中の最高峰とされるに至って、以後、大作曲家は交響曲を9作書くと死ぬ、という「第九の呪い」がささやかれるようになった。

 ブルックナードボルザークヴォーン・ウィリアムズは確かに当てはまる。またマーラーは呪いを怖れてか、第九交響曲を交響曲とは呼ばず「大地の歌」と名づけ、10番目の交響曲に取り組んでいる最中、病死した。

 シベリウスは第八を書き終えた段階で不安にかられ、楽譜を焼き捨ててしまった。おかげで91歳まで長生きしたというのだが、ほんとかな?

 ショスタコーヴィチなど、15作も書いている。しかもヘビースモーカーだった(関係ない?)。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/11/27 8:30:26 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第90回目の今日は「第九の呪い」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/11/post_fa8d.html#more  ベートーヴェン以降の作曲家は、第九交響曲を書き上げる前に死んでしまう、というクラシック界にあるジンクス?について書きました。  ベートーヴェン以前だと、ハイドンは104曲(さすが「交響曲の父」と異名をとるだけある)、モーツァルトは41曲作っている。  つまり... 続きを読む

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