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2007年12月11日 (火)

世界史レッスン

名門一族の不出来な息子 1831年

  ~アントワネット没後38年~

 一族は代々、イギリスの富裕で高名な医師という家柄だった。チャールズは6人兄弟の5番目。祖父は名の知れた哲学者にして医師、父も医師で投資家、母は陶磁器で有名なあのウェッジウッド家の出身である。

 兄も医学専攻ということで、チャールズも医師になるべくエディンバラ大に入学した。ところが当時はまだクロロフォルム使用以前。麻酔なしの外科手術は野蛮をきわめ、見ていて卒倒しそうになる。とうてい自分には無理、と2年でやめてしまった。

 それからは狩猟ばかりしているので父が心配し、聖職者になってはどうかと勧められる。いいかもしれない、と次にケンブリッジ大へ入学。しかし授業にはさっぱり興味がもてない。このころ上流階級で流行(はや)っていた昆虫や貝の標本集めに熱中し、大学の成績は凡庸なまま卒業することになった。

 さて、この不出来な22歳はその先が決まらない。ちょうどイギリス海軍の測量船が無給スタッフを求めているので受けてはどうか、と指導教授から勧められた。狩猟シーズンと重なったため迷っていると、叔父が30マイル先の試験場までわざわざ車で送ってくれた。

 ひたすら受け身の若者は、こうして1831年、何とか2本マストの砲艦に乗りこむことができた。後で聞かされたところによれば、面接した船長はラファーターの骨相学に凝っており、チャールズの鼻の形が気に入らなくて、最初は不合格にするつもりだったという。おまけに船長とは航海中、奴隷制をめぐる議論でも対立し、あやうくクビにされるところだった。

 もし叔父の好意がなければこのビーグル号に乗ることはなかったろうし、もし船長とのトラブルが決定的なものになっていたら、ガラパゴス島へわたることもできなかっただろう。進化論がどうなっていたかは、神のみぞ知るだ。

 5年にわたる長い海外調査を終えたとき、チャールズ・ダーウィンは人生の方向を定め、「何者か」となる予感をはらんで下船したのであった。多士済々のダーウィン一族のうち、もちろん彼が一番有名な人物になったのだから、若いころの評価は必ずしも当てにならないとの、これは好例。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2007/12/11 8:26:50 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の世界史レッスン第92回目の今日は「名門一族の不出来な息子」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/12/post_41b3.html  ウェッジウッド家とダーウィン家の結びつきについてなど、書きました。    でも今日はそれとは全く関係なく、以前、時事通信社系新聞に連載していた「まなざしの瞬間(とき)」という美術エッセーから、再録いたします。  ラ・トゥールの「ポンパドゥール夫人肖像画」(ルーブル... 続きを読む

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