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e-book Japan ベルサイユのばら

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2007年12月21日 (金)

アニばら不思議発見

ジャンヌは努力家

~じゃがいものスープだけの生活からベルサイユを目指した、ジャンヌの努力を称えるお話~

 18世紀ブルボン王朝最大のスキャンダル、「首飾り事件」を引き起こし、王妃を断頭台へと導いた実在の人物、ジャンヌ・バロア。パリの貧民街を飛び出し野望の実現にひた走りそして自滅した、彼女の成功と挫折の原因はどこにあるのだろうか?

☆ジャンヌの人生

 「私は、自分の手でここからはいあがってみせるからね。チャンスをつかんで必ず絹とレースの服を着てみせるわ」(アニメ「ベルサイユのばら」第6話『絹のドレスとぼろ服』)の言葉どおり、オスカルとの偶然の出会いでベルサイユに登場したロザリーと比べ、ジャンヌは自らの才覚で、ベルサイユへの道をたったひとりで切り開いていった努力家だ。

 ブーレンビリエ侯爵夫人を後ろ盾にしてからは、嘘をついて貴族の称号を手に入れ、お世話になった侯爵夫人を殺害して財産を手に入れ、ついにはローアン大司教をだまし、首飾りを手に入れる。

 逮捕されてもめげないジャンヌ。裁判では、真犯人が王妃だと主張して王室の権威を失墜させ、投獄されても逃亡し、ベストセラーを書いて世間を味方につけた。

 こうしてみるとジャンヌのやり方はかなり人の道からそれている。

 しかし、第10話『美しい悪魔ジャンヌ』で、「言葉遣いといい、難しいお作法といい、ダンス、ピアノ、何から何までわずかな時間にすっかり身につけてしまうなんてねぇ」と侯爵夫人が絶賛しているように、チャンスを逃さず社交界にデビューできたのは、ひとえにジャンヌの地道な努力ゆえである。ジャンヌ自身、「夜も寝ないで貴婦人になりすまし血もにじむような努力をしてきた」と語っている。

☆二人の美女から当時の出世術を検証

 実際に平民が貴族社会に入り、ベルサイユに住居を構えた実例がある。どちらもルイ15世の寵姫になった女性、ポンパドゥール夫人デュ・バリー夫人だ。偶然だろうが、2人とも本名に「ジャンヌ」の名がついている。2人の実例から、平民が貴族社会で成功するための当時の出世術をジャンヌと比較しながらみてみよう。

◆ポンパドゥール夫人(本名 ジャンヌ・アントワネット・ポワソン)
・平民の中産階級出身。父親は地方の職工の出
・母の野望により、声楽、ダンス、音楽、絵画、外国語など、あらゆる教養を身につける
・財産家と結婚し、上流階級のサロンに入り宮廷人、知識人、芸術家と交流
・23歳でポンパドゥール侯爵夫人の称号を得て、ルイ15世の正式な愛妾となりベルサイユに入る

 彼女は、自らの野望と意思で運命を切り開いた才色兼備の女性である。寵姫となってからは、国政に介入し、人事や外交を取り仕切り、啓蒙主義者のパトロンとなって芸術・文化を庇護した。王の寵愛が薄れてからも、若い女性を求める王のために、宮廷内に数人の美少女を住まわせる館をつくり、王の精神的な相談相手という地位で長くべルサイユに君臨したという。

 彼女の如才ない性格を象徴しているのは、自らの演出でつくりあげた王との出会いである。自分の別荘地の近くに王が度々滞在することを知った彼女は、王が狩猟にでかけるところをねらい、無蓋の馬車で王の傍らを颯爽と駆け抜けた。すらっとしたスタイル、白い肌、美しい髪…、そして、石川ひとみのヒット作『まちぶせ』のごとく、みごとに王を振り向かせ、ベルサイユ入りを果たしたのだった。

◆デュ・バリー夫人(本名 ジャンヌ・べキュ)
※ここではアニメではなく実在の人間像をみていきます。

・あるお針子の私生児として生まれる
・モード店の売り子になると、彼女の美しさはパリ中の男たちの評判となる
・20歳で同棲した極道者のデュ・バリー子爵が、金になるだろうと母親から彼女を譲り受け、貴族の貴婦人として暮らし始める。子爵の庇護の代償として相手をさせられていた男性達が大貴族や知識人だったので、ここで社交界のマナーと会話術を体得
・ルイ15世が寵姫を探していると聞き、デュ・バリー子爵が彼女を宮廷に紹介。子爵の弟と署名だけの結婚をしてデュ・バリー伯爵夫人となり、ベルサイユに入る

 彼女は、自らの意志でというよりも、なかばデュ・バリー子爵に騙されたような形で運命に身を任せている。大変美しく、愛らしい性格だったというから、まさに女性としての魅力が彼女の運命を切り開いたといえるだろう。

☆ジャンヌのさだめ

 3人とも、経済的な後ろ盾を持ち、教養を身につけ、貴族の称号を得て社交界に入り、平民生活から脱却したのだが、ジャンヌだけがベルサイユに君臨することなく人生を踏み外し、悲壮な最期を遂げたのはなぜだろうか。

 ポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人は、側近が自分たちに都合のいい美女を王にあてがっていたルイ15世時代の人物だが、ジャンヌがベルサイユを目指した時代は寵姫をひとりも持たなかったルイ16世の時代。ベルサイユに伺候する貴族達はみな、王ではなく王妃の歓心を得ようと画策していた。

 「今にベルサイユに住んで王妃のような暮らしをするんだ」と燃えていたジャンヌ。しかし、そのアウトローな気質と孤独な陰り故か、運と人脈には恵まれず、王妃のとりまきどころかベルサイユに住むこともできなかった。こうなると、ブルボン王朝に優るとも劣らないバロア王朝の血をひくジャンヌにとって、自分の運命を恨む気持ちはいっそう強くなっていっただろう。ジャンヌは次第に「王妃の親友」の名を騙って王妃に近づきたい人間を操り、王妃とは一面識もないままに大金を稼いでいく(ジャンヌがバロア王朝の末裔の私生児だったことは本当らしく、仏革命関連の本にもよく紹介されている)。

 同じく王家の血が流れる女性でありながら、なぜ、アントワネットと自分には天と地ほどの差があるのか―、この下町時代からの葛藤が彼女を王妃の敵にし、自らを破滅に導いたのだ。

 そして、とうとうジャンヌは疲れてしまった。

 「あたしゃもう、いいよ。なんだかもう、飽きちまったんだ…」

 絹とレースの服を着てみせると言っていたのに、侯爵夫人殺害以降、罪に手をそめた彼女は、いつも黒い服しか着ていなかった。

<歴史かわら版> お金で買えた貴族の身分

 ルイ16世の時代では、国家に勤務する者でなくても、誰でも簡単に、貴族の称号をお金で買うことができた。これは、財源にするために政府が貴族の称号を売ったことに起因する。

 値段は1700年頃では3000フラン、ルイ16世当時は10万フランだが、その出費も貴族の特典や徴税の利益で取り戻せた。当時のにわか貴族の横行について、作家メルシェは、『役たたずな人物になる権利を買うお金があったら、商業か賢明な事業に使うべき』『自分が平民であること、つまり祖国にとって有用であることを、人々が名誉と思う日が訪れますように』と書き残している。しかし、実際には、貴族にならない金持ちの町人はいなかったのである。智里chisato

参考文献
メルシェ著「十八世紀パリ生活誌」岩波書店
別冊歴史読本「マリー・アントワネットとヴェルサイユ」新人物往来社
マックス・フォン・ベーン著「ロココの世界―十八世紀のフランス」三修社
・檜山良昭著「ポンパドゥール侯爵夫人殺人事件」中央公論社
池田理代子著「フランス革命の女たち」新潮社

■TVアニメ「ベルサイユのばら」
現在、DVDで入手可能です。
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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2007/12/21 10:30:00 アニばら不思議発見 | | トラックバック (0)

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