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2007年12月14日 (金)

神々のプロフィール―ばらに宿った神話―

私に罪はない! ドリュオペとルイ16世

大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」と言い、とりあえずは「すみません」と言ってしまう。よく言えば思いやりあふれる、悪く言えばなあなあなのが日本人というもの。ガツン!と言ってやりたいのはやまやまだけど、人から恨まれたくない、和を乱す自制心のない人だとは思われたくない、悲しい性である。

フランス国王ルイ16世陛下は、ベルばらKidsではアキバ系だったりお相撲好きだったりと、大変日本びいきだし、優柔不断とセットになっている優しさがいかにも現代の日本人男子に通ずるものがあるようにも思える。
しかし、やっぱりこの方は大陸の人だなあと思うのは、ギロチンを前にして「わたしの国民よ わたしは罪なくして死んでいく」 と堂々と言い放った点だ。侍なら黙って死んでいくのが美学だと思いそうだし、現代日本人ならあそこまで国民から総スカンされて精神的に追いつめられたら、それでも「私に罪はない!」 と主張できる人は少ないように思える。

このルイ16世と同じ台詞を最後に言った人物がギリシャ神話にもいる。
彼女もルイ16世のように、一見とてもおとなしそうな、かよわい女性で、名をドリュオペといった。
オイカリアに住むドリュオペは、その地方で最も美しいと評判の女性で、アンドライモンという夫と、2人の間に生まれた、まだ生後1年に満たないかわいい男の子がいて、彼女は幸せそのものだった。

ある日湖のほとりで息子にお乳を飲ませてやっていたドリュオペは、水辺に咲く真っ赤な蓮(ロートス)を見つけ、子供に見せて喜ばせようとその花を摘みとった。しかし、ドリュオペは子供に見せることなく、その花を見つめたまま動けなくなってしまった。蓮は手折られた茎から花弁の赤よりも鮮やかな血を滴らせ、いかにも苦しげに身を震わせていたのだ。
恐れおののくドリュオペは、身をひるがえし、その場から逃げ去ろうとしたが、足が全く動かなかった。見ると彼女の下半身は樹木の根に変化していて、見る見るうちに上半身もしなやかな樹皮に覆われていった。温かくやわらかだった母親の乳房が冷たく硬くなっていくのだから乳飲み子は泣き叫ぶが、かけつけた彼女の姉妹も、父親も、夫もどうすることもできなかった。ついに顔だけを残して全て樹木となってしまった時、ドリュオペは言った。

わたしは神にかけて誓います。こんな非道な目に合ういわれは、けっしてなかったのです。わたしは、罪なくして罰を受けています。わたしのこれまでの生き方に、罪はありません」

嘆きながらドリュオペはそのまま完全に樹木となってしまった。

確かにドリュオペはとても可哀そうだ。しかし、本当に100%罪は無かったのだろうか。もちろんそうではない。結果には必ず原因があるのだから。ドリュオペが手折った蓮はみだらな男にしつこく言い寄られたニンフ、ローティスが逃げ惑い、ついに姿を変えたものだった。ドリュオペは、知らずにニンフの身体を傷つけ、その罰を受けたのだ。

ルイ16世にもはたして罪はなかっただろうか。ルイ16世自身が心優しい好人物であったとしても、残念ながら彼が君臨していたことによって、明日のパンに困り、人間の尊厳を傷つけられた人たちがいたことは事実である。確かにルイ16世は、ことさら意図して他人を害そうとはしなかっただろうが。
人は悪人でなくても、どこかで必ず他人を傷つけてしまう。だから、考えようによってはとりあえず「すみません」と言うのも、実は日本人のとても賢い良き知恵なのかもしれない。(米倉敦子

《参考文献》
「変身物語」 オウィディウス作 中村善也訳 岩波文庫

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2007/12/14 11:00:00 神々のプロフィール―ばらに宿った神話― | | トラックバック (0)

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