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2008年1月29日 (火)

世界史レッスン

人間公衆トイレ? 1852年

  ~アントワネット没後59年~

 今の日本人が18,19世紀のパリ都市部へ連れてゆかれたら、文字通り鼻が曲がるか、場合によっては窒息死してしまうかもしれない。何しろ当時のパリっ子でさえ、トイレの毒気に当てられて、ほんとうに死んだ者がいたというのだ。

 人口密集地では、常にトイレが問題になる。法律で何度も規制して、ようやくどの建物内にもトイレが設置されることになっても、構造が悪くて台所に隣接したり、排水がうまくゆかず中身が井戸に洩れることもあった。

 また汲み取り人は夜中に仕事をしたが、こっそり下水や溝にそのまま捨てる不届き者もいて、川の汚染は深刻だった(こんな環境では、平均寿命が短くなるのは当然だ)。

 時には外科医たちが、盗掘死体を解剖(先週の「遺体盗掘から殺人へ」参照)した後、ばらばらにしてトイレへ投げ捨てるものだから、全くたまったものではない。それでなくとも下水管は細すぎて、しょっちゅう詰まっていた。

 町なかはどうだったろう? 何と1830年になるまで、公衆トイレなどなかった。とうぜん生垣や木陰、川岸で用をたすことになり、チュイルリー庭園(まだ一般に全開放されていたころ)の散歩は、とうていロマンティックだったとは言えない。

 ロンドンなら少しはましだったろうか? いや、こちらはパリよりさらに遅れて、1852年になるまで公衆トイレはなかった。どこで用をたすかは似たり寄ったりだったが、「人間公衆トイレ」まで存在していたというから驚く。

 辛(つら)い仕事だ。道ばたに夏でも大きなコートに身を包み、バケツを持って立つ。客がそのバケツで用をたす間、コートで隠してやるのだ。もちろんトイレットペーパーなどないのだから、ハーブの束やら石や貝殻(!)などを使わせていたとか。病原菌をまきちらす元になっていたのでは・・・

 衛生的な生活がいかにありがたいか、しみじみ思う。(中野京子)

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投稿者 中野京子 2008/01/29 9:08:22 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」、第98回目の今日は「人間公衆トイレ?」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/01/post_5a32.html#more  パリ・ロンドンの18,19世紀公衆トイレ状況について書きました。  でも今日は本の話。  「マリー・アントワネット」(角川文庫)ですばらしい解説(「物語の富の奪還」!!)を書いてくださった、菊池良生・明治大学教授による新刊「ハプスブルク帝国の情報メディ... 続きを読む

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