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2008年3月11日 (火)

世界史レッスン

エリザベートの鬼の姑 1824年

  ~アントワネット没後31年~

 歴代ハプスブルク家第一の美女エリザベート皇后を描いたウィーン産ミュージカル『エリザベート』で、彼女をいじめる憎々しい仇(かたき)役として登場したのが、フランツ・ヨーゼフの母、つまりエリザベートの姑、ゾフィ皇太后である。

 現実の彼女もああだったのだろうか?――そのとおり。若い嫁などとうてい太刀(たち)打ちできない、ゴッドマザーだった。瀕死(ひんし)のハプスブルク家を生き永らえさせるため、無能な夫カール大公を皇帝にさせまいと画策(「何でオレだけ皇帝じゃないの?」参照)したし、あだ名にしてからが「ハプスブルク家唯一の<男>」という凄さだ。

 そんなゾフィだったが、彼女といえども、しかし初々しい時代と密かなロマンスはあった。

 1824年、19歳でバイエルンから嫁いできた彼女は、ウィーン宮廷の堅苦しさや、なかなか世継ぎのできないプレッシャーに悩んでいたが、当時宮廷には、彼女と同じく半分よそ者という立場の、6歳下の甥(夫の姉の子)がいた。フランス人だった父親を亡くし、母親からは見捨てられたも同然だった彼は、皇帝の孫とはいえ、完全なハプスブルク家の一員とは思われていなかった。ゾフィは彼の心に寄り添った。

 こうして年の近い叔母と甥(もちろん血はつながっていない)は、はじめ姉弟のように、やがて年月がたつうちもっと微妙に親密さを増してゆく。ゾフィにしてみれば、容姿端麗で快活な青年へと成長した甥は、退屈なばかりの夫とは正反対の存在であった。

 ゾフィに6年間も子どもがうまれなかったこともあり、ふたりはいつも連れ立ってオペラ、舞踏会、謝肉祭と出歩いた。恋に似た何かが醸(かも)し出されていたのだろう、彼らの仲を疑うささやきが宮廷に満ちた。

 だがやがてゾフィは25歳で、待望の世継ぎフランツ・ヨーゼフを産む。そしてこのころから、甥は病床に伏せるようになった。肺結核だ。

 ゾフィの手厚い看病にもかかわらず、2年後、甥は21歳の若さで亡くなり、そのわずか2週間後にゾフィは次男マクシミリアンを産み落とす。夫の子ではなく、甥の子に違いない、と噂された。

 真相はどうだったのだろう?ゾフィが全く夫を愛していなかったのは、確かな事実だけれど・・・

 さて、ここでクイズ。この「甥」とはいったい誰でしょう?ヒントは本文中にあります。正解は来週。(中野京子)

《ハプスブルク家に関するエピソード》
山内一豊の妻――西洋男性版 1736年
マリア・テレジアの16人の子どもたち 1736年
秀吉の誓詞もカール6世の詔書も、ただの紙切れ 1740年
不吉な予兆あれこれ 1770年
ヨーゼフ2世、水戸黄門になる 1790年
なんでオレだけ皇帝じゃないの? 1848年

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投稿者 中野京子 2008/03/11 8:23:09 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第103回目の今日は、「エリザベートの鬼の姑」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/03/post_6709.html  フランツ・ヨーゼフの母ゾフィの若き日のエピソードについて書きました。今回はクイズもあるので、当ててくださいね!  さて、嫁姑といえば、古来から敵同士と決まっているらしくて、古代ローマかどこかの古文書には、「姑が生きている限り、ああ、その限り、心の平和よ、さ... 続きを読む

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