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2008年6月10日 (火)

世界史レッスン

フォンタンジュは長く、人生は短い 1680年

  ~アントワネット生誕75年前~

 イギリスの女流作家メアリ・ワートリ・モンタギューは、18世紀初頭にウィーンへ旅し、大流行のフォンタンジュ型ヘアスタイルについて、次のように報告している。

 「女性たちはガーゼで頭上1エレ(約65センチ)の高さの土台を作り、入れ毛を詰めた上に、たくさんのリボンで固定します。それを自分の髪で覆うのですが、入れ毛をしているのを隠すため、髪粉をたっぷりふりかけます。そこへ2,3ツォル(約2,30センチ)の非常に大きなヘアピンを3つも4つも刺し、さらにダイヤモンドや真珠などの宝石を付けるのです」。

 けっこう重そうだ。これは流行のピーク時、すなわち終わりに近いスタイルのため大仰(おおぎょう)になっているからで、最初はもっと単純な形だった。というのも、この髪型がどうして生まれたかというと――

 1680年、太陽王ルイ14世は新しい愛妾フォンタンジュ公爵夫人(といってももともとは侍女で、まだ十代。肩書きは王から与えられた)を伴い、狩猟へ出かけた。そこへいたずらな風が吹き、公爵夫人の髪を乱す。とっさに彼女は、自分の靴下留め(といっても宝石付き!)のリボンをほどき、それで髪を頭のてっぺんでまとめて薔薇結びにした。すると・・・

 あーら、不思議、これまで見たこともない、キュートなヘアスタイルができあがった!

 その場に居合わせた男たちは、ますます魅力的になった彼女に賛嘆し、女たちはさっそく翌日からこれを真似しはじめた。こうしてフォンタンジュ公爵夫人の名を冠したニューモードは、30年以上の長きにわたって全ヨーロッパを席捲(せっけん)し続ける。

 一方、夫人はといえば、彼女がこのヘアスタイルをしていられたのは、わずか1,2年。王の子を流産してまもなく、顔が醜く腫れあがり、その半年後、21歳で急死してしまう。

 あまりにも突然の、しかも不可解な死に方だったため、とうぜん毒殺説がささやかれている。もっとも疑われているのは、王の子を7人も産み、宮廷に君臨していたモンテスパン侯爵夫人だ。フォンタンジュに寵姫の座を奪われてはならじと、黒ミサと毒薬を用いたのではないか、というのだが、真相は闇の中。 (中野京子)

<ルイ14世のエピソード>
そびえる太陽王
ルイ14世に仕えたペロー兄弟
醜貌を親に疎まれ
ルーヴル、城砦から美術館へ
ココアだけでは癒されず―ルイ14世妃

ヘアスタイルの話は「アニばら不思議発見」でも取り上げています!


★中野京子さんの新刊情報★

お待たせしました!「怖い絵」第2作が出ました!
「怖い絵2」(朝日出版社/価格1,890円)

 今回登場する絵は、「世界史レッスン」でも登場した『カルロス2世』の肖像画(「血族結婚繰り返しの果てに」)、ホガースの『精神病院にて』(「観光名所だった精神病院」)や、「神々のプロフィール」でおなじみのギリシャ神話のエピソードを描いたルーベンスの『パリスの審判』など20点。あの名画の印象が変わります。


詳しい本の内容はbook.asahi.com でチェック!

 

 

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投稿者 中野京子 2008/06/10 8:24:33 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第115回目の今日は、「フォンタンジュは長く、人生は短い」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/06/1680_f461.html#more  フォンタンジュという巨大なヘアスタイルが、ルイ太陽王の愛妾フォンタンジュ公爵夫人の名を冠したものだった、というエピソードについて書きました。  話は180度変わり、先週、暖かい日でしたが、授業中に空いた窓から雀が教室に飛び込んできてび... 続きを読む

受信: 2008/06/10 9:26:49