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2008年6月 3日 (火)

世界史レッスン

皇妃の死因はDV(ドメスティック・バイオレンス)か? 1826年

  ~アントワネット没後33年~

 ナポレオンの妃となったハプスブルク家皇女マリー・ルイーズには、6歳下の妹マリー・レオポルディーネがいた。美女とはいえないが、兄弟姉妹の中でもっとも頭脳明晰で果敢(かかん)、曾祖母マリア・テレジア女帝似とされた。そのレオポルディーネが20歳のとき、結婚話が持ち上がる。

 相手はポルトガル王子ペドロ。ただしここの王家はナポレオンの侵攻以来、宮廷丸ごと植民地ブラジルへ逃亡中だった。当時ヨーロッパからブラジルまでは、船で3ヶ月もかかるまさに地の果て。苦労は目に見えていた。

 だが「戦争は他の者にまかせておくがいい。幸いなるかなオーストリアよ、汝(なんじ)は結婚すべし!」がハプスブルク家の家訓であるから、レオポルディーネに否やはいえない。

 では彼女は姉と同じく、泣き泣き嫁いだのだろうか?そうではなかった。贈られてきたペドロの肖像画を見るなり、たちまち夢中になり、「まるでアドニスのような美貌のお方なのです」と、パルマにいるマリー・ルイーズに宛てて、うきうきした手紙を出したほどだ。

 こうしてはるばる辿りついたブラジルで、レオポルディーネは初めてペドロと対面する。肖像画どおりのハンサムではあったが、彼の長所はそれのみで、次第に明らかになってゆく政治的無能、軽薄、好色、粗暴――文字どおり、ただの暴力亭主にすぎなかった。

 レオポルディーネは冷静に観察し、彼の性格は両親の不和や父との確執(かくしつ)に拠ると判断し、結婚3年目に宮廷がポルトガルへ帰国することになっても、自分たち夫婦はブラジルに残るべく画策した。夫と両親を切り離し、この地で新しい国づくりを夫婦協力し合っておこなえば、関係は修復されると考えたのだ。

 揺らぐ政治情勢の中、レオポルディーネは持てる力をフルに使って独立運動を助け、ついにブラジルは新帝国樹立を果たす。夫はブラジル帝国初代皇帝ペドロ1世となり、彼女は「独立の母」として国民の人気を集めた。

 ふつうならこれでメデタシメデタシのはずだが、レオポルディーネにとってはここからが地獄の始まりとなる。自分に自信がなく性格の悪い男は、えてして出来すぎる妻に感謝するどころか、むしろ憎悪にかられるもので、ペドロもそうだったのだ。

 皇帝になったとたん、彼は愛妾の存在を公にし、あろうことかレオポルディーネ付き女官に任命、財政難にもかかわらず豪壮な城を建ててやり、産ませた子どもを王族にしようとし、あげくの果てはレオポルディーネを軟禁状態にする。

 さすがの彼女も、もはやこれまでと思ったのだろう。帰国を考え、財産を隠したが、それがばれてペドロに部屋へ侵入されてしまう。怒鳴り声、殴る蹴るをうかがわせる物音、そして呻き声が、室外にまで響いたという。数日後、レオポルディーネは「お産による腰痛(!)で死去」した。1826年、結婚して9年目のことだった。

 皇帝が常から鞭をふりまわし、カッとなると誰彼かまわず暴力をふるうのは周知のことだったので、レオポルディーネの突然死にまつわる噂は国民感情を逆なでした。けっきょくこの5年後、ペドロは地位剥奪(はくだつ)の上、国外追放。35歳でリスボンで病死した。(中野京子)

<関連情報>
ハプスブルク家に関するエピソード
山内一豊の妻――西洋男性版 1736年
マリア・テレジアの16人の子どもたち 1736年
秀吉の誓詞もカール6世の詔書も、ただの紙切れ 1740年
不吉な予兆あれこれ 1770年
ヨーゼフ2世、水戸黄門になる 1790年
エリザベートの鬼の姑 1824年
なんでオレだけ皇帝じゃないの? 1848年

ナポレオンのエピソードいろいろ

ナポレオンを兄にもつと・・
ナポレオン「百日天下」に右往左往の彫刻家
ナポレオンも苦言――ロマンティックな結核
ナポレオンの裏切りに触発されて
いつの時代もファッションは
戦争しながら読む恋愛小説
ナポレオンの兵隊さん

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投稿者 中野京子 2008/06/03 8:24:33 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の世界史レッスン第114回目の今日は「皇妃の死因はDV(ドメスティック・バイオレンス)か?」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/06/dv_76d1.html  ハプスブル家皇女レオポルディーネは、ブラジル初代皇帝ペドロ1世の妃となりましたが、彼のDVによって命を落としたのではないかと言われています。そのエピソードについて。  ところで先日テレビに出るため神戸へ行ったことはちらっと書きましたが... 続きを読む

受信: 2008/06/03 11:18:33