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2008年8月 5日 (火)

世界史レッスン

捨てられた子どもたちは・・・1790年

  ~アントワネット35歳~

 フランス啓蒙期の思想家ルソーが、実子5人を次々孤児院へ捨てていたことは以前書いた(「ルソーの教育論とその実態」参照)

 18世紀における孤児院(「捨て子院」と呼ばれたこともあった)に関しては、当時の経済学者ヨーハン・ベックマン(ドイツ人)による詳細な数字が残っており、それによればーー

 まずドイツ語圏内各都市の例。

 カッセル――1763年から1781年の長期調査で、740人中652人死去。そのうち半数は8歳未満だった。

 メッツ――1797年度は、収容された子どもの8分の7がすでに死去。

 某公国内「捨て子院」(ベックマンは同時代人なので、名前の公表ははばかられたのだろうか?)――莫大な施設費を公国から受け取りながら、12年間で成人できた子はたったひとり。

 ではフランス革命の翌年、1790年のパリではどうか?なんと孤児院に収容されていた子の数は、2万3千人以上! しかも1800年には、6万2千人に増えた。概算によると、その13分の11が早々と死んでしまったというから恐ろしい。いくら幼児死亡率の高い時代とはいえ異常である。

 これらに比べれば、ウィーンはずいぶん良い方といえよう。1789年調査では、死亡率54.5%の由(これで「良い」と言わなければならないのも辛い話だが)。

 いったい子どもたちの死因は何だったのだろう? もっとも多いのは「飢え」。貧民階級の場合、両親がそろっていてさえ餓死もありえた時代だから、子どもたちの生存競争は過酷であった。保母の給金が長く途絶えることもしばしばあり、最悪の例では保母自身が子どもたちをよそへ売っていた。

 院内での世話の放棄(=愛を与えないこと)も死因のひとつだった。これについては、あのフリードリヒ大王の有名な「実験」がある。彼は孤児院の赤ん坊を使い、ミルクだけ与えて肉体的接触をいっさい禁じたらどうなるかを試したのだ。可哀そうに、赤子は次々みんな死んでしまい、人間にとって肌の触れ合いがいかに大事かが証明された次第。

 現代では猿を使った心理実験がよく知られているけれど、これまた残酷ではあるよなあ・・・ (中野京子)

 scorpius      scorpius      scorpius

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投稿者 中野京子 2008/08/05 8:07:38 世界史レッスン | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」にて連載中の「世界史レッスン」第122回の今日は「捨てられた子どもたちは・・・」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/08/post_9871.html#more  ルソーの時代、孤児院にいれられた子どもたちの生存率が果てしなく低かったことを、ベックマン(1739〜1811)の調査が伝えています。その薄ら寒い現実の一端について書きました。  さて、先週は旅行のためこのブログも「世界史レッスン」もお休み。... 続きを読む

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