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2008年10月30日 (木)

ベルサイユの音楽会

アントワネットの師匠グルック先生とはどんな人か(2)

~ もう1つの革命 ~

前回のコラムでは、アントワネットの音楽教師グルックが、ただの音楽教師ではなかったという話をしました。今回は彼が音楽界に残した業績の1つである「オペラ改革」についてお話ししましょう。

⇒前回のコラム「グルック先生とはどんな人か(1)」

noteグルックのオペラ改革
(オペラ界の革命)

1700年代後半のこの時期は、音楽界においても革命がおこっていました。

当時のオペラは、無意味で過剰な音の装飾のために、物語の進行を妨げたり白けさせていると感じていたグルックは、その改革に取り組みます。当時のオペラには、歌手が即興で自由に創作した歌を歌う部分がありましたが、それは次第に、自らの実力をひけらかすような、技巧に走りすぎたものになっていきました。グルックはそういった過剰な装飾を控えさせ、物語を明瞭にし、登場人物には生き生きとした感情を吹き込み、力強い音楽をつける事にこだわりました。そのために、伴奏付きの語りべ部分を初めて作り、合唱も効果的に使い、さらにオペラの冒頭には物語を予感させる序曲、または前奏曲を置く様式を作り出したのでした。

それに対して、伝統的なイタリアオペラの様式を守り、「セビリアの理髪師」の作曲者でも有名な、ピッチーニ(Niccolò Vito Piccinni 1728-1800)との間に強烈なオペラ論争が起こるようになりました。

両者の論争は世論を巻き込み、町では喧嘩をしたり、決闘をしたり、あらゆる手を使って、相手を打ち負かそうとしました。

そしてグルックとピッチーニは、「トーリードのイフィジェニー」という同一の台本に、別々の作曲をするという方法で決着をつけようとしました。グルックは1779年にそのオペラをパリのオペラ座で初演、圧倒的な好評を博しました。その2年後にピッチーニも同じ台本のオペラを出しましたが、グルックのような成功を得る事はできず、事実上グルックの勝ちという結末となりました。

こうしてグルックのオペラ改革は成功し、オペラが真剣で劇的な芸術になり、従来の声と技巧のみに頼るオペラアリアを時代遅れにしてしまいました。

この事により確立した様式は、後にベルリオーズやワーグナーから高く評価される事となります。

このように、フランス革命のあったこの時代には、音楽界においても音楽史的に大きな転換期をむかえていたのでした。(Eriko)

<主要参考文献>
井上和男監修   『クラシック音楽作品名辞典』三省堂 1996
音楽之友社編   『音楽中辞典』 音楽之友社 2006
D.J.グラウト   『新西洋音楽史 下』音楽之友社 2001

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2008/10/30 10:00:00 ベルサイユの音楽会 | | トラックバック (0)

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