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2009年1月 8日 (木)

ロココの衣装小部屋

“ロココのシャネル”ローズ・ベルタンが案内するベルばら時代のファッション《内容紹介》

読者ライターの安瞳麗です。はじめまして。
18世紀ロココの時代は、絢爛豪華かつ華麗なモードが薔薇のように咲き誇った最後の時代です。『ベルサイユのばら』終盤の舞台であるフランス革命を機に、モードは一部の人々のものから、全ての人々のものへと移行していきました。

『ベルサイユのばら』には、王妃マリー・アントワネットやフェルゼン伯爵の最新のモード、オスカルの軍服、アンドレのお仕着せ、ベルナールやロザリーの市民服など、様々な階級や立場の人の服装が描かれています。ここ「ロココの衣装小部屋」では、マリー・アントワネットのモード大臣といわれたローズ・ベルタンの目を通して、ベルサイユのトップ・モードから市民の服装、当時の流行のスタイル、細やかな装飾(ディティール)などを、ご紹介したいと思います。(このコーナーの連載は終了しました)

◆ローズ・ベルタンについて

Image001 王妃マリー・アントワネットの御用商人ローズ・ベルタン嬢は、パリのサントノレ街にブティックを開き、後にリシュリュー街へと進出します。彼女は貴族階級のみを顧客に持ち、ブルジョア階級を相手にしませんでした。そのため1787年には、財政危機や破産で支払い不能となった貴族たちから売り上げを回収できずに、多額の借金を抱えて破産します。しかし、その後もアントワネットの衣装を手がけ、三部会に臨むアントワネットの衣装もベルタン嬢によるものでした。
『ベルサイユのばら』のクライマックス、バスティーユ陥落後のベルタン嬢は、国旗にしわ加工をしたドレスを売るなど革命派に与したようなモードを売り、一方で国王一家がタンブル塔に幽閉された後も、アントワネットの元に出入りしていたようです。そこからベルタン嬢はアントワネットの密使を務めたといわれるのでしょう。
その後、亡命したベルタン嬢はドイツの宮廷にパリ・モードを広め、イギリスへ移ります。1800年にパリに戻りますが、昔日の栄光は戻らず、1812年にブティックを手放し、翌年、貧窮のうちに没しました。

ローズ・ベルタンはフランスの財政を逼迫させた一因を担うといわれ、『ベルサイユのばら』でも決して好意的に描かれていませんが、ファッション・センス、確かな腕、美貌でアントワネットのデザイナーとなっていることから、ロココのシャネルともいえるでしょう。

図版
・ ローズ・ベルタン…「パリ・モードの200年 18世紀後半から第二次世界大戦まで」南静著 文化出版局

参考文献
・ 「パリ・モードの200年 18世紀後半から第二次世界大戦まで」南静著 文化出版局
・ 「知の再発見」双書100「王妃マリー・アントワネット」エヴリーヌ・ルヴェ著 塚本哲也監修 遠藤ゆかり訳 創元社
・ 「マリー・アントワネットの調香師 ジャン・ルイ・ファージョンの秘められた生涯」エリザベット・ド・フェドー著 田村愛訳 原書房

執筆者紹介
安瞳麗(あんどう・れい)

Icon05 ファッションが大好きでスタイリストになりました。現在は、専門学校と短大でスタイリング、ファッション・コーディネート、ファッションの基礎知識、ファッションの歴史などの講義を持っています。
『ベルサイユのばら』とは、週刊マーガレット連載中に出あいました。「自己の真実のみにしたがい一瞬たりとも悔いなくあたえられた生をいきた」オスカルの生き方と、傍らで支え続けたアンドレの人生は、私にとって、キャリア・ウーマンという言葉も無い時代から現在に至って尚、鮮烈なものです。

好きなキャラクターは、なんといってもアンドレ。従僕でありながら、オスカルと同等に語り合えるほど成長する努力家であり、オスカルを身分を越えた愛に導く大きさに魅かれます。

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2009/01/08 9:11:09 ロココの衣装小部屋 | | トラックバック (1)

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受信: 2009/01/09 22:56:23