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2009年4月30日 (木)

ベルサイユの音楽会

音楽界、変革の時代

 今までのコラムでご紹介したように、アントワネットやオスカルが活躍した「ベルサイユのばら」の時代は、音楽界においても沢山の変革がありました。
 これまで、その1つ1つを題材にしてきましたが、今回は、まとめとして、1700年代全体の音楽界(特にオペラについて)の流れを見ていきたいと思います。

 下の年表で、音楽界の主な人物の生没年の関係を見てみましょう。「ベルサイユのばら」の登場人物達の生没年と完全に重なっていますね。

Ongaku

noteブフォン論争
時期:1750年代
関係者:ラモールソー

 当時のフランスは、国王・貴族向けの宮廷オペラが主流でした。そこへイタリアの作曲家ペルゴレージの「奥様女中」がパリ・オペラ座で公演されたのです。
 “オペラのニューウェーブ”ともいえるこの作品の上演をきっかけに、フランスではルソーが中心となり、王妃を擁する擁護派と、ラモーが中心となり、国王ルイ15世を擁した非難派とに真二つに分かれて論争が行われたのでした。この論争の結論はうやむやになってしまったのですが、イタリア・オペラはその後、オペラ改革を経て、モーツァルトによって頂点を迎え、対するフランス宮廷オペラは衰退していきます。(詳しくは「ルイ15世VS王妃 オペラを巡る戦い」をご覧ください)

noteオペラ改革
時期:1700年代後半
関係者:グルックピッチーニ

 ブフォン論争から約10年後、1700年代後半は、オペラ界にも革命がおこっていました。
 当時のオペラは、無意味で過剰な音の装飾のために、物語の進行を妨げたり白けさせていると感じていたグルックは、その改革に取り組みます。それに対して、伝統的なイタリアオペラの様式を守ろうとするピッチーニとの間に強烈なオペラ論争が起こるようになりました。そしてグルックとピッチーニは、同一の台本に別々の作曲をするという方法で決着をつけようとしました。グルックは圧倒的な好評を博し、事実上グルックの勝ちという結末となりました。この事により確立した様式は、後にベルリオーズやワーグナーから高く評価される事となります。(詳しくは「アントワネットの師匠グルック先生とはどんな人か(2)
」をご覧ください)

noteオペラ新時代(モーツァルトの登場)
時期:1700年代後半
関係者:モーツァルト

 オペラ改革が始まった頃、モーツァルトは12歳で2作目の劇作品を作曲していましたが、彼のオペラが認められるようになったのは、1781年のウィーン移住後になります。彼がもう少し早く生まれていて、ラモーやグルックとの論争に関わっていたのなら、ブフォン論争やオペラ改革もまた、違った結末になっていたのかもしれないですね。
 しかし、モーツァルトは、幼少の頃から様々な地を旅してきたせいか、多種多様の作品に接し、様々な様式を知ることになります。そして良いところを組み合わせながら、グルックの新しいオペラからも多くを吸収して、ただそれらを取り入れるだけではなく、それらを自分の物にし、ジングシュピール(ドイツの民衆的オペラ。ドイツ語を用い喜劇的内容を特色としている。)という独自の様式を確立していき、この時代のオペラの頂点へと上りつめたのでした。

 このように18世紀は、音楽界(特にオペラ)においても、まさに激動の時代だったのです。(Eriko

<主要参考文献>
高橋浩子他 『西洋音楽の歴史』東京書籍 2000
皆川達夫他 『総合音楽史年表 改訂版』教育芸術社

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2009/04/30 15:52:53 ベルサイユの音楽会 | | トラックバック (1)

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