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e-book Japan ベルサイユのばら

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2009年7月 9日 (木)

ロココの衣装小部屋

革命前夜 王制を護る軍隊

 昨年(1788年)、フランス南東部のドーフィネ州グルノーブルで、武装した市民が国王軍に石や瓦を投げつける事件(屋根瓦の日)が起こりました。その後、同地で非合法の地方三部会が開かれ、フランス全土に流れる不穏な空気が徐々に表立った動きとなってまいりました。

 私、ローズ・ベルタンが店を持つパリでも、暴徒化した市民が貴族や富裕なブルジョアジーを襲う事件が頻発し、武器商を襲った市民は武器を持ち、義勇軍を作り始めております。フランス衛兵隊(ガルド・フランセーズ)ベルサイユ常駐部隊長オスカル・フランソワ様の馬車も、ショセ・ダンタンの留守部隊に向かう途中を市民に襲われ、偶然にもスウェーデン近衛隊を率いて帰国の途にあったフェルゼン伯爵が、お救いしたそうでございます。

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 今年(1789年)の4月、貧民街サン・タントワーヌにあるパリ最大の工場、レヴィヨンの壁紙工場で暴動が起き、レヴィヨンの家も焼き討ちに遭い、軍隊が出動し500人以上が犠牲となりました。
 1月1日、175年ぶりに招集が布告された全国三部会は5月5日に開会されましたが、6月に入っても進展の無い会議に業を煮やした平民議員が「国民議会(アサンブレ・ナシオナール)」発足を決定し、23日には国王陛下の申し渡しを受け入れず退場しない平民議員に、近衛隊(ガルド・デュ・コール)が差し向けられるという事態になりました。その時は、ラ・ファイエット候をはじめとする進歩派貴族に、駆けつけたオスカル様が加勢して、近衛隊を阻む事件となったのでございます。
 26日には地方の軍に出動命令が出され、フランス各地の軍隊が続々とパリに到着しました。テュイルリー宮広場にはランベスク公率いるドイツ人騎兵隊。ルイ15世広場にはブザンバル候率いる竜騎兵、スイス人傭兵、フランス歩兵。陸軍士官学校には軽騎兵連隊。シャラントンにロワイヤル=クラヴァット連隊。ヴィシーにサリス=サマード連隊。ラ・ミュエットにロワイヤル=アルマン連隊。パリからベルサイユまで、各連隊の軍服の色も様々に、ド・ブロイ元帥を総司令官として約10万の国王軍が配置されております。
しかし、市民側も負けてはおらず、パレ・ロワイヤルの庭園には数千人が集まり、その中には出動命令に背いたためサン・ジェルマン教会(アベイ監獄)に収監されていたフランス衛兵10名が含まれております。

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 近頃は貴族の方々のお出ましも減り、すっかり寂しくなった宮廷に、先日、あの事件以来、久しぶりにオスカル・フランソワ様が伺候されました。近衛連隊長であられた頃は、いつも王妃マリー・アントワネット様のお側近くにいらしたオスカル様ですが、衛兵隊に移られてからは、宮廷で姿をお見かけすることが少なくなりました。王妃様は心からお喜びだったそうでございます。
 オスカル様は近衛時代と違い、フランス衛兵隊の青い軍服でございます。

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 軍服の歴史は古く、古代ローマの軍人も甲冑、サブアルマルというチュニック(長い上衣)、脚にはグリーブ(金属製の脚絆)、足首までの靴カルケウスを身に付けておりました。
 近代的な軍服は、ヘンリー8世(1491~1597)の赤衣の近衛隊、30年戦争(1618~48年)のドイツの赤衣隊と黄衣隊が始まりです。この頃から軍服には国を表す徽章が付けられるようにもなり、我がフランスは白の徽章でございます。
 今日の軍服の原型が作られたのは17世紀です。それまでは重たい鎧の下に、キルティングのプールポワン(短いタイトな上衣)、オー・ド・ショース(詰め物で膨らませた脚衣)、バ・ド・ショース(タイツ)、短靴(踝より低い位置までの靴)という大変に動きにくく機能性の低いものでしたが、17世紀に入ると、オングルリースという外套に革製のプールポワン(キルティングした上衣)、革のジレ(丈の長いベスト)、武器の重量にあわせた丈夫なベルト、折り返しの着いた長靴に変わり、装飾も少なくなったため、機能性の高いものとなりました。
 フランスの軍隊は、ルイ14世陛下の御世、1660年に長袖のジレの上にチュニックを着るようになり、さらに1670年を迎える前にチュニックは、ぴったりとした上衣ジュストコールに変わりました。
 1670年からの2年間で、この型はフランス全軍に採用され、ジュストコール、ジレ、キュロット、クラヴァット、長靴、トリコルヌ(三角帽)が軍の制服となったのです。それまでの軍服は色や仕立て方だけが共通というものでしたが、ルイ14世陛下は御用商人に軍服の仕立てを請け負わせ、布地、装飾品、ボタンの数など細かい部分まで共通性を持たせて兵士に支給されました。
 さらに歩兵は明るいグレー、砲兵は鮮やかな青というように、各部隊が独自の色を持つようにもなりました。裏地には対照的で鮮やかな色が使われます。
青と赤は王家の連隊で、国王の護衛隊は“赤い騎兵隊”といわれました。騎兵隊は空色に白い十字のカザック(外套)を着ます。
 1698年には、各連隊の士官も所属連隊独自の色を着用することが定められました。色が定められたのは、王の権威の誇示、揃いの色の軍服が与える威圧感、典礼の際の華やかさなど、理由は様々ですが、一番の理由は土埃と硝煙に霞む戦場で、司令官が味方の兵士を見分け、部隊ごとへの戦術を正しく伝えるために必要だったからでございます。

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 先王ルイ15世陛下の頃には、王家の色である青は護衛隊(コルト・ド・ガルド)、王室親衛隊(ガルド・フランセーズ)、騎馬の擲弾兵(てきだんへい)(グルナディエ・ア・シュバル)。同じく王家の色である赤は近衛騎兵(ジャンダルムとムスクテール)、スイス人傭兵の色となりました。連隊ごとに違うのはアビの色のほか、折り返しの襟、縁飾りの打ち紐と飾り紐(ブランドブール)です。青のアビに銀モールが付き、キュロットも靴下も赤いのはフランス近衛隊。フランス衛兵隊は青のアビ、赤いジレ、白のキュロット。スイス百人近衛隊は羽根のついた帽子、襞の入った円形の襟、切り口の入ったキュロットが特徴です。
 王の親衛隊以外では、騎兵のアビが灰色と白、胸甲騎兵(キュイラシエ)とコンデ公の常備軍(レジオン・ド・コンデ)は淡黄色です。竜騎兵は緑のアビ、淡黄色のジレ、鹿革のキュロットに飾毛のついた兜と決められました。
 サンテュロン(軍刀、拳銃を吊るためのベルト)とバンドリエール(負い革)は、様々な部隊で使われています。しかし、バンドリエールはエリート部隊では飾り紐の付いた絹、他の部隊は水牛の革でした。革具の色は、騎兵は黄色、歩兵は白です。
 連隊ごとに色が違うコカルド(花形帽章)は、1755年頃に黒の近衛騎兵(ジャンダルム・ド・ラ・ガルド)以外の全ての部隊で白になり、1762年には近衛隊(ガルド)の徽章として、金、銀糸のエポーレット(肩章)がつけられるようになりました。勲章は、フランスでは中世の騎士団に始まり、階級を表すものとして授けられます。
 このように定められた軍服でしたが、将校は特権として甲冑の下に喪服を着ることができ、その長さは法で決められた規定以上に長く、自由なものでした。

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 ルイ16世陛下が即位されるとサン・ジェルマン伯爵により、遊動隊が猟歩兵と猟騎兵の中隊に変更されて各連隊に配備され、近衛騎兵、軽騎兵、親衛騎士は廃止されました。さらに伯爵は毳(けば)だったボネ(つばの無い帽子)を廃止、髪粉や辮髪も廃止しようとなさいましたが、髪を短く刈るのは徒刑囚のようだと兵士が暴動を起こしたため、伯爵は辞任することとなりました。ボネは擲弾兵だけに認められました。
 1779年に軍服は、ラシャ(厚手の毛織物)製のアビ(上衣)とジレ、裏が亜麻布で編地のキュロット、クラヴァット、もしくはキャンブリック(綿や麻の平織りの布)やリンネル(亜麻の布)の黒のストック(腰高の襟飾り)、脚絆、長靴、コカルドとポンポン(玉の房飾り)が付いたトリコルヌへと大きく改革され、現在の形になりました。
 王家の色は青と赤で変わりませんが、他の連隊ごとに定められていた色は、歩兵は白、砲兵と工兵は青というように、兵種ごとに定められるようになりました。
 王室親衛隊の青のアビにはブランドブールという横線の刺繍が施されています。
 アビはフランス風で、7つのボタンが付き、折り返しの襟はホックで止められます。たくし上げられた裾には、それぞれ擲弾兵は柘榴の実、射撃兵は白百合、猟兵は角笛が描かれました。
 砲兵のジレとキュロットは青、砲兵以外の全ての連隊のジレとキュロットは白となり、長いゲートルをつけます。これは、夏には白亜麻、冬には黒ラシャと季節で変わります。 騎兵は青のアビに淡い黄色のジレ、竜騎兵は緑のアビに革のカザク(膝丈の長い乗馬用コート)、猟兵は緑のフラック(前面は丈が短く、後ろの裾が長い燕尾型の上衣)と淡黄色のジレ、半長靴を着用します。猟兵には1784年から兜が採用されました。スイス親衛隊は、襞の入った大きな襟飾りと膨らみのあるキュロットから、近代的なスタイルに変わっています。
 1781年に制定された規則により、4代以上続いた貴族以外は軍隊での昇進が禁じられました。軍隊の中にも身分の差や貧富の差がございます。

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 7月11日、国民に人気の高い財務長官ネッケルが罷免され、パレ・ロワイヤルではベルナール・シャトレとかいう若い新聞記者が、壇上で「市民よ武器を取れ!」と演説しているそうでございます。
 そして、とうとう国王ルイ16世陛下より、本来は宮殿内の警護を担当するフランス衛兵隊に、明後日13日、2個中隊をパリへ出動させよとの命令が下されました。
 全ての人を魅了せずにおかなかった魅惑の街、麗しき花の都パリ。永久(とこしえ)であれと願った、あの輝かしき栄光の街の面影を取り戻す日は、来るのでしょうか。

(注1)中公愛蔵版「ベルサイユのばら」第1巻まえがきで池田理代子先生も述べておられますが、原作の中で衛兵隊が着ているのは近衛隊の軍服で、オスカルが着ている軍服は革命後のナポレオン時代のものです。

(注2)文中の“出動命令に背いたためサン・ジェルマン教会(アベイ監獄)に収監されていたフランス衛兵10名”は、「ベルサイユのばら」では“班長アラン・ド・ソワソン以下11名”にあたり、10名の衛兵は6月30日にアベイ監獄を襲撃した市民によって開放され、匿われました。
また、7月11日に“ベルナール・シャトレとかいう若い新聞記者が壇上で「市民よ武器を取れ!」と、演説している”は「ベルサイユのばら」を参照していますが、実際はベルナール・シャトレのモデルとなった当時29歳の弁護士カミーユ・デムーラン(後にジャーナリスト 後年ロベスピエールと対立し、処刑された)が、7月12日にパレ・ロワイヤルで演説したものです。(安瞳麗

《参考図版》「デジタル画像 フランス百科全書 図版集」から
軍人の服飾についての参考資料
銃兵の執銃訓練動作(1)
銃兵の執銃訓練動作(2)
銃兵の執銃訓練動作(3)

《参考文献》
・「中公愛蔵版 ベルサイユのばら 第1巻」 池田理代子著 中央公論社 2007年2月25日 34版発行
・「マリ=アントワネット」1・2 アンドレ・カストロ著 村上光彦訳 みすず書房
・「西洋服装史」 フランソワ・ブーシェ著 文化出版局 1973年6月1日第1刷
・「図説 フランス革命」 芝生端和編 河出書房新社ふくろうの本 2007年4月30日 9刷発行
・「フランス革命の社会史」 松浦義弘著 山川出版社 2008年4月25日1版9刷発行
・「ロココの世界 -十八世紀のフランス」 マックス・フォン・ベーン著 飯塚信雄訳 三修社 2000年11月10日発行
・「コスチューム -中世衣装カタログ-」 田中天&F.E.A.R.著 新紀元社 2001年10月2日第2刷発行

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2009/07/09 11:00:00 ロココの衣装小部屋 | | トラックバック (1)

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