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2009年11月 6日 (金)

日仏歴史談議

国家財政を赤字にした2人の女性─マリー・アントワネットと徳川和子─

 マリー・アントワネットローズ・ベルタン嬢を贔屓にしてドレスを何着も作り、浪費を重ね、「赤字夫人」と呼ばれた。日本にも、江戸幕府の再三の倹約令を無視して、「衣装狂い」といわれ浪費を重ねた女性がいる。

 江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮である徳川和子、後の東福門院である。アントワネットと同様に和子も12才で幕府と朝廷の融和のための政略結婚をさせられた。

 夫の後水尾天皇は24才、しかもルイ16世と違い、すでに側室がいて子供もいた。当時の日本には、側室がいけないという社会通念が無く、天皇は絶対といっていいほど後継者を残さないといけないと考えられていたので、和子と結婚後も多くの側室を持った。特に、後水尾天皇と和子の娘、明正天皇に譲位した後は、箍が外れたように、側室に子供を産ませている。

 しかも、和子はその子供たちの何人かを自分の子として育てている。
 アントワネットと逆の意味での夫婦生活の寂しさを埋めるため、実家の幕府と婚家の朝廷の間に挟まれた苦悩を紛らわすために、呉服に大金をつぎ込んだのだろう。

 例えば、和子が71才で没する延宝6年(1678)には、小袖99点、帷子96点の注文をしている。毎年これに近い数の呉服を注文していたと考えると、「衣装狂い」というのもうなずける。
 そして、アントワネットと同じ様に、和子も大量の呉服を天皇家の義姉妹・義娘や女官たちに贈っている。

 さてその費用だが、兄である3代将軍家光に無心をした。すでに和子には、幕府から毎年多額の金銭援助があったにもかかわらず、である。
 だが、家光も妹に同情していたのか、断ることは無かったようだ。ヨーゼフ2世もアントワネットのことが心配だったみたいなので、妹がかわいいのは万国共通みたいだ。さらに、和子は夫のために、修学院離宮の造営費用のほとんどを幕府に出させている。

 和子が贔屓にしたのは、尾形光琳・乾山の実家の雁金屋で、和子が注文した小袖は、「寛文小袖」といわれ流行した。
 アントワネットも和子も、ファッションリーダーとなり、文化を牽引したが、国家財政を圧迫した。(鈴木規子


〈参考文献〉

『徳川和子』 久保貴子 吉川弘文館
『王妃マリー・アントワネット』 エヴリーヌ・ルヴェ 創元社

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2009/11/06 11:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (0)

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