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2010年1月26日 (火)

世界史レッスン<映画篇>

エスプリも命がけ 1794年

  ~アントワネット没後1年~

 民衆は飢えているというのに、ヴェルサイユの宮廷人たちは暢気(のんき)にパーティ三昧ーーかと思いきや、彼らもまた閉鎖された空間で命がけの足の引っ張り合いをし、ストレスにさらされていた、という映画が『リディキュール』(パトリス・ルコント監督、1995年公開)。ルイ十六世のそっくりさんも出てくる。

 リディキュール(ridicule)とは、英語のridiculousで、「嘲笑さるべき」「滑稽な」「物笑いの種の」というような意味。たっぷり毒が含まれている次第。

 当時の貴族は尊大な態度を高く評価していたので、尊大でいられない、つまり滑稽とみなされることを何より怖れた。ラ・ロシュフーコー曰く、「リディキュールは不名誉以上に不名誉である」。

 気の利いたエスプリのひとつも言えないようでは、たちまちリディキュールの烙印(らくいん)を押されてしまう。露骨な嘲笑を浴びて宮廷にいられなくなり、失意のうち田舎で早死にした貴族もいたという(なんだか現代日本での、残酷ないじめと似ている)。

 この映画にも、ちょっと口をすべらせただけで、これまでの王の寵愛をいっきに失い、ヴェルサイユを追われる神父が登場する。失言でした、ではすまないらしい。

 反面、周囲をあっと言わせるエスプリを連打すれば、位の低い地方貴族でも成り上がれるチャンスはあった。本作の主人公がまさにそれだ。

 湖沼の多いドンブ地方の自領を干拓するべく、ヴェルサイユへ陳情しにきた若い主人公は、最初なかなか王と接触させてもらえない。だが即興詩を競う遊びで、当代随一の才人と互角に張り合ったのが認められ、やっと十六世の取り巻きの一員となる。ところが今度は皆に妬(ねた)まれ、決闘を申し込まれるはめに・・・

 革命はもうすぐそこへ来ているのに、貴族たちの内向きの度合いは恐るべきものだ。彼らにとっては宮廷が全世界であり、そこからはじき出されるのは、死にも等しい。傍から見れば実にばかばかしい。

 ところでイギリスの「ユーモア」とフランスの「エスプリ」の違いを、河盛好蔵は次のように規定している、「ユーモアは自分を笑うことで、エスプリは他人を笑うこと」。

 『リディキュール』のラストは、1794年のイギリス。革命を逃れた亡命フランス貴族が、英国貴族と海辺を散歩している。そこへ風。帽子が吹き飛ぶ。「頭でなくてよかったですな」と言うイギリス人に、「それがユーモアというものですか?」とフランス人は訊ねるのだった。 (中野京子)

movieリディキュール

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監督: パトリス・ルコント
出演: ファニー・アルダン他
公開: 1995年

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投稿者 中野京子 2010/01/26 8:42:04 世界史レッスン<映画篇> | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン<映画編>」第31回の今日は、「エスプリも命がけ」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2010/01/post-8f08.html#more  ルコントの『リディキュール』について書きました。  映画のシーンで印象的だったのは、フランス人がイギリス人のユーモアについて「彼らにはその程度の頭しかない」と馬鹿にするところ(たぶんイギリス人の方も同じことをしているだろう)。  笑いというのは... 続きを読む

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