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2010年3月 5日 (金)

日仏歴史談議

フランスに最初に行った日本人、日本に最初に来たフランス人

 18世紀のヴェルサイユ宮殿には様々な国々の人々が集っていた。例えば、スウェーデン人のフェルゼンもフランスを訪れている。だが、残念なことに、江戸幕府は鎖国体制をとっていたため、そこには日本人はいなかった。では、初めてフランスを訪れた日本人は誰だろう?

 それは、1615年仙台藩士支倉常長の一行で、フランスのサン・トロペに寄港したのが最初だった。
 支倉常長は、1571年生まれ、1613年の42才の時、仙台藩主伊達政宗の命で慶長遣欧使節の大使として、フランシスコ会宣教師ソテロ他日本人15名と共に、まずメキシコに向かった。当初の目的は、メキシコとの通商であったため、メキシコ市を経て、本国スペインへと渡り、翌年末に首都マドリードに到着した。それから、約半年後の1615年8月にはローマ教皇パウロ5世に謁見するため、バルセロナ港を出航した。10月初旬、暴風雨に遭い難を避けるため、フランスのサン・トロペに寄港し、2日間滞在した。天候悪化による偶然の産物として、フランスに日本人が初めて上陸した出来事となった。

 当時のサン・トロペの領主らの記録によると、支倉らの容貌の特徴は、「小男で、鼻がとても低く、鼻孔が大きかった」、とある。また、日本人は和紙を多く持ち、一日一回は鼻をかんではそれを捨てる、その捨てられた紙をフランスの民衆が奪い合った、と記されている。フランス人にとって、日本人は珍しく、その持ち物にも好奇心があったのだろう。逆に、支倉は、フランス人にどのような印象を持ったのだろうか? 支倉は、諸国遍歴に対し日記をつけていた。が、1812年以後、その日記は所在不明になっている。何が書かれていたのだろう。

 支倉らは、無事にローマ教皇と謁見し、1616年初め、ローマを出発し、スペインを再訪し、メキシコ、フィリピンに滞在して、1620年8月、仙台に帰ったが、出発時の将軍徳川家康から秀忠に代わり、1614年にはキリシタン禁教令も出ており、支倉らには厳しい状況になっていた。晩年ははっきりしないが、2年後の1622年に死去した。

■初めて日本に来たフランス人は誰だろう?

 1636年に石垣島に上陸したドミニコ会宣教師ギヨーム・クルテである。クルテは、1590年頃生まれ、1624年にアヴィニョンの修道院長に任命された後、宰相リシュリューから、外交交渉を依頼されるほど優秀な人物だったが、日本で弾圧を受けているキリスト教徒を助け、布教活動をするために、日本に向かった。だが、日本は鎖国体制をうちたてつつあり、クルテは捕らえられ、鹿児島を経て、長崎に連れて行かれ、1637年9月拷問のすえ処刑された。

ちょこっと最後に…東京都美術館で開催中の「ボルゲーゼ美術館展」に、ローマで描かれた支倉常長の肖像画が特別展示されています。(鈴木規子

〈参考文献〉
『支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇』 大泉光一 中公新書
『支倉常長―武士、ローマを行進す』 田中英道 ミネルヴァ書房
『絹と光』 クリスチャン・ポラック アシェット婦人画報社
『来日西洋人名事典』 武内博編著 日外アソシューツ

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/03/05 11:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (1)

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フランスに最初に行った日本人は…… 1615年、仙台藩の支倉常長一行とか。 まずメキシコ つぎにスペイン(マドリード⇒バルセロナ) フランスのサン・トロペ。 そのときの記録では日本人は 小男で、鼻がとても低く、鼻孔が大きかった それとこれはローマ等でも報告されて..... 続きを読む

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