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2010年4月 2日 (金)

日仏歴史談議

ジャガイモとフランス人、さつまいもと日本人

 2009年1月17日の『ベルばらKids』に、ジャガイモ普及を推し進めたルイ16世と農学者パルマンティエの記事があったが、フランスでは飢饉時の食物としてジャガイモを選択した。

 ジャガイモは、南米原産で、1570年前後にスペインに入り、ヨーロッパ北部に広がり、フランスには1600年前後に伝えられたといわれる。しかし、豚などの家畜のエサとされ、下層階級の人々の食物とする偏見によって普及しなかった。だが、1770年の大飢饉の時にジャガイモによって多くの人々が救われた。そこで、農学者パルマンティエが、七年戦争でプロシアの捕虜となった時ジャガイモが食事として出され、フランスに帰国後に栽培を始め、ルイ16世の庇護のもと様々なアイデアで普及させた。

 一方、日本では、ジャガイモは1598(慶長3)年にオランダ船がジャワのジャガトラから長崎に入れたのが始めで、その名もオランダイモとかジャガタライモと呼ばれた。フランス同様18世紀半ば頃、飛騨や甲府で栽培されたが、一般の家庭料理の材料として普及するのは明治時代後半であった。

 では、日本で飢饉時の食物として普及したのは何かというと、さつまいもだった。さつまいもも南米原産で、ジャガイモより1年前の1597(慶長2)年に宮古島に入り、薩摩や平戸に入り普及していった。茶道の菓子として焼芋が用いられたが、一般的には飢饉時の食物として、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の庇護のもと青木昆陽が、享保の飢饉で飢餓に苦しむ人々をみて、さつまいもの栽培を提唱し、江戸小石川の公儀薬草園で試作をしたのが始まりで、江戸時代末期までには東北地方まで普及した。

 さつまいもは、ヨーロッパでは、コロンブスがスペインのイサベル女王に献上したのが最初で、17世紀末までにはヨーロッパ各地に伝播したが普及はしなかった。
 ほぼ同時期に伝播したイモ類の選択が、フランスと日本で違うのはなぜだろうか。栽培の問題としては、ジャガイモは冷涼地を好み、ヨーロッパ北部の気候に適していたが、さつまいもは暖地を好んだということがあった。だが、明確な答えは無い。フランス人は、ジャガイモの鼓腸性でガスがたまるのを嫌ったということがあるので、さらに鼓腸性があるさつまいもは嫌われたのでは、と考えられる。一方、日本人は肉食ではなかったので、ジャガイモ単独の淡白な味が味覚にあわなかったのではないだろうか。

ちょこっと最後に…青木昆陽は「甘藷先生」と称されました。パルマンティエは、その功績を称えられ、パリの地下鉄にパルマンティエ駅があり彼の銅像が建てられています。(鈴木規子)    

〈参考文献〉
『食の世界地図』 21世紀研究会編 文春新書
『ジャガイモのきた道』 山本紀夫 岩波新書
『世界を変えた植物』 B.S.ドッジ著(白幡節子訳) 八坂書房
『歴史学事典-ものとわざ-』 加藤友康他 弘文堂
『国史大辞典』 吉川弘文館

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/04/02 11:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (0)

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