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2010年4月27日 (火)

世界史レッスン<映画篇>

神に愛されし子、モーツァルト 1791年

  ~アントワネット36歳~

 マリー・アントワネットがヴァレンヌ逃亡に失敗し、パリのチュイルリー宮へ半幽閉状態になっていた1791年、ウィーンではモーツァルトが、35年の短い生涯を終えた。

 ピーター・シェーファーによる傑作戯曲の映画化、『アマデウス』(ミロシュ・フォアマン監督、1984年公開)の、「アマデウス」とは、ラテン語で「神に愛されし子」の意。モーツァルトのミドル・ネームだ(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)。

 ただし主人公はこの不世出の天才ではない。神に愛されず、それゆえに凡庸(ぼんよう)な作品しか産み出せなかった、ウィーン宮廷楽長アントニオ・サリエリのほうである。

 現実にはサリエリは、社会的地位においても、当時の一般的人気においても、モーツァルトをはるかに凌いでいた。ふつうに考えれば、彼がモーツァルトを殺したくなる何の理由もありはしない。

 だがシェーファーが造形したサリエリ像は、嫉妬というものの複雑さをあますところなく体現するーー

 サリエリには、狂いない批評眼が備わっていた。したがって、いかに努力しても自分の能力ではモーツァルトを超えられないと、すぐさま悟る。「超えられないなら、むしろ良し悪しを聴きわける力など持たないほうがよかったのに!」

 またサリエリにとって、音楽は神への捧げものであった。だから身を正し、創造にたずさわってきた。「だのになぜ神は認めてくれないのだ?よりにもよって、なぜあんな軽薄で享楽的なモーツァルトを愛するのだ?なぜ彼ばかりを贔屓(ひいき)するのだ?」

 神への怒り、モーツァルトが軽々と作り出す珠玉の音楽への羨望、自らの不甲斐(ふがい)なさ、それらがサリエリの心の中で、よじれ、捩(ねじ)れて、しだいに殺意へと膨らんでゆく・・・

 まばゆいばかりの天才を前にしたとき、誰もが感じる不平等感、打ちのめされるばかりの敗北感が、ここでは永遠の問いとして描かれる。「なぜ彼なのだ?わたしではなく?」と。

 サリエリがどうやってモーツァルトを死に追い込んでいったか、そしてどんな運命の皮肉に手痛い仕返しを喰うかは、映画を見ていただくとして、あらためて驚くのは、スクリーンにふんだんに流れるモーツァルト作品の凄みである。交響曲、協奏曲、室内楽、教会音楽、オペラと、ありとあらゆる分野に傑作を残したのは、ほとんど彼ひとりと言っていいほどなのだ。

 そして未だ解明されない、モーツァルトの死の謎。きっとこれからも、さまざまな新説があらわれることだろう。 (中野京子)

movieアマデウス

20100427_3

監督: ミロシュ・フォアマン
出演: F・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス他
公開: 1984年

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/04/27 8:52:11 世界史レッスン<映画篇> | | トラックバック (1)

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 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン<映画篇>」第37回の今日は、「神に愛されし子、モーツァルト」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2010/04/post-ccdc.html#more  数々の賞を独占した『アマデウス』について書きました。  もともとは舞台劇。わたしも読みましたし見ましたが、緊迫した見事な戯曲です。史実の隙き間をフィクションで埋めてゆく、その兼ね合いも完璧!  映画はモーツァルトの比重が少し大きくな... 続きを読む

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