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2010年5月 7日 (金)

日仏歴史談議

硝石に悩んだフランスと日本

 『ベルサイユのばら』の主人公のひとりであるオスカルが軍人ということもあり、大砲がよく出てくる。銃や大砲には、火薬が必要である。

 火薬は、中国で9世紀頃発明されたといわれている。この火薬とは、黒色火薬であり、硝石・硫黄・木炭を材料として混合したものである。硫黄や木炭は入手しやすいが、天然の硝石は、中国・インド・スペイン・ポルトガル等で産出する。特に、ヨーロッパでは、硝酸カリを多く含んだ土から抽出しやすく、人件費の安いインド産の硝石が多く使用された。

 ヨーロッパ各国は、戦争に必要な硝石の入手に苦労しており、そこで土から硝石を製造することを見つけた。

 それは、ヨーロッパも日本も同じ方法で、『戦国合戦入門』によると「床下から採取する方法で、床下の土が乾燥し周囲の汚水から水分を集めて蒸発し、汚水中の硝化菌から生成される硝酸アンモニウムが長い年月をかけて土に浸透し、焚火の灰から生成する炭酸カリウムと反応し、水分が蒸発した結果、結晶化し、硝石が生成される」という。

 馬小屋や豚小屋などの家畜の糞尿から、ヨーロッパでは壁土から、日本では便所の床下から硝石を製造した。フランスでは、1775年に化学者ラヴォワジェが豚小屋の硝石採集管理者に就任している。ナポレオンの時代には、馬小屋や豚小屋の他に鳩小屋なども硝石採集場としている。だが、この方法での硝石の量はそんなには多くなく限界がある。やはり、天然の硝石を産出する場所を獲得することが重要となる。
 
 ところが、フランスは1756~63年の七年戦争で、インドの支配権をイギリスにとられたことで、フランスは火薬不足におちいり、講和を結ばざるをえなかったといわれている。イギリスとの植民地争奪戦争に敗北したのである。

 一方、日本だが、1543年の鉄砲伝来以来、火薬が必要となった。日本も天然の硝石は産出しないので、中国から硝石を輸入した。この硝石輸入を牛耳っていたのが、イエズス会で、当時の実力者織田信長を支援し、キリスト教を保護させようとした。だが、織田信長が独走を始めたため、明智光秀に本能寺の変を起こさせ、織田信長を暗殺したという、イエズス会黒幕説もある。

 19世紀初めに、南米チリで硝石の鉱床が発見され、1800年代のヨーロッパの戦争にはこのチリ硝石が使用された。日本は、江戸時代に入り、安定した世の中となり、硝石の需要は減っていった。

ちょこっと最後に…アンヴァリッド廃兵院といえば、フランス革命のバスティーユ攻撃の際に民衆によって襲撃されたこと、ナポレオンの棺もあることで有名ですが、中庭には1864年の四国艦隊下関砲撃事件で、勝利したフランス軍が戦利品として持ち帰った長州藩の大砲が展示されています。(鈴木規子)    

〈参考文献〉
『東アジアの「近世」』 岸本美緒 山川出版社
『日宋貿易と「硫黄の道」』 山内晋次 山川出版社
『肥料になった鉱物の物語』 高橋英一 研成社
『粉の文化史』 三輪茂雄 新潮選書
『戦国合戦入門』 池内宏昭他 学習研究社
『信長と十字架』 立花京子 集英社新書
『検証 本能寺の変』 谷口克広 吉川弘文館
『信長は謀略で殺されたのか』 鈴木眞哉・藤本正行 洋泉社
『海外貿易から読む戦国時代』 武光誠 PHP新書

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/05/07 15:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (0)

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