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2010年6月 4日 (金)

日仏歴史談議

アジサイの名の由来

 梅雨時の花といえば、アジサイを思い浮かべるだろう。アジサイは、フランス語ではHortensia(オルタンシア)といい、オスカルの姉であり、ル・ルーの母であるオルタンス(Hortense)から付けられた。

 1771年にマレー諸島からモーリシャス島へフランス人天文学者ルジャンテーユがアジサイを持ち込み、このアジサイを「ルポティア」と呼ぶべきだと提案した。「ルポティア」とは、時計職人の妻で天文学者であったニコル=レーヌ・エターブル・ド・ラ・ブリエール・ルポート夫人にちなんだものだったが、モーリシャス島にいたフランス人植物学者コメルソンが、バハマのナッソー王女の娘オルタンス・ド・ナッソーにちなむ「ホルテンシア」という名前の方が良いといい、フランスではこの名前が採用され、学名はHortensia opuloides(ホルテンシア・オプロイデス)ということになった。

 イギリスに初めて持ち込まれたアジサイはアメリカ産だった。だが、現在ヨーロッパで見られるアジサイは、シーボルトがヨーロッパに持ち帰った日本原産のものである。

 シーボルトは、1796年生まれのドイツの医者であり、植物学者である。1823年にオランダ商館医として来日し長崎郊外に鳴滝塾を開き、高野長英らを指導しながら日本についての様々な情報を収集し、1828年に帰国することとなる。ところがこの帰国の際に、海外持ち出し禁止の日本地図などを持ち出そうとしたことが発覚し、国外追放となる(「シーボルト事件」)。だが、アジサイをはじめとしてテッポウユリレンギョウなど様々な植物はヨーロッパに持ち帰ることが出来た。

 アジサイもシーボルトが国外に持ち帰ったものだが、特に美しいアジサイに、Hydrangea otakusa(ヒドランゲア オタクサ)と種名を付けた。「オタクサ」は、シーボルトの日本での妻「お滝さん(=楠本滝)から名付けられたといわれる。

 帰国後のシーボルトは、日本の植物に関する本を出版する資金調達のために、ヨーロッパの王室を回った。ロシアでは、エカテリーナ2世の孫であるニコライ1世に謁見し、ウィーンでは、マリー・アントワネットの甥であるフランツ2世とも会食している。そして出版されたのが、『日本植物誌』などである。

 1858年に、日蘭通商条約が締結されたことで、シーボルトの国外追放令も解け、翌年再来日し、1862年に帰国した。その後、ナポレオン3世は、シーボルトをフランス使節団の団長として日本へ派遣することを決定したが、プロイセン・オーストリア戦争が起こり、実現することなく、1866年に70才で亡くなった。

ちょこっと最後に…シーボルトと日本は非常に関係が深いです。アジサイに名付けたお滝さんとの間には、イネという女の子をもうけていますし、帰国後に結婚したヘレーネとの次男ハインリッヒは、オーストリアの外交官として日本に滞在し、日本人を妻としました。では、フランスとの関係は?シーボルトの祖父は、1760年に短期間フランス陸軍の軍医として働いています。1796年のフランス軍との戦いでは、敵側のドイツ軍の負傷兵の救護にあたりました。 (鈴木規子

〈参考文献〉
『花の西洋史事典』 アリス・M・コーツ 白幡洋三郎・白幡節子訳 八坂書房
『自然の中の人間シリーズ 花と人間編 花に魅せられた人々 発見と分類』 大場秀章 農文協
『ハレー彗星』 カール・セーガン/アン・ドルーヤン 小尾信彌訳 集英社
『花の男 シーボルト』 大場秀章 文春新書
『シーボルト』 板沢武雄 吉川弘文館
『シーボルト、波瀾の生涯』 ヴェルナー・シーボルト 酒井幸子訳 どうぶつ社
『日本植物誌』 木村陽二郎・大場秀章解説 八坂書房

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/06/04 11:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (0)

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