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2010年7月 2日 (金)

日仏歴史談議

日本人は、いつフランス革命を知ったのか?

 7月といえば、14日のフランス革命! 私たちは、7月14日にバスティーユ牢獄が陥落して、フランス革命が始まり、ルイ16世マリー・アントワネットが処刑され、その後ナポレオンが皇帝となり…と語ることが出来る。この知識は、『ベルサイユのばら』や学校で勉強したことで得ただろう。

 では、日本人が初めてフランス革命を知ったのはいつだったのだろうか?

 現代ならば、世界で起こった出来事は、すぐにテレビをはじめとして様々な媒体から知ることが出来る。だが、フランス革命が起こった1789年には、テレビはもちろん現在のような発達した情報伝達方法は無かった。

 1789年といえば、日本は第11代将軍徳川家斉の治世で、鎖国体制をとっていた。江戸幕府は、ヨーロッパの国々の中で唯一オランダと通商していた。そこで、毎年新任のオランダ商館長に『オランダ(和蘭)風説書』を提出させ、そこから海外情報を得ていた。

 『オランダ(和蘭)風説書』は、1641年にオランダ商館が長崎の出島に移されたときから1859年まで提出された。閲覧出来たのは、将軍や老中・若年寄などの重臣や、長崎奉行・オランダ通詞(通訳)など、ごく少数の限られた人々だった。

 1794年のオランダ商館長ヘイスベルト・ヘンメイが提出した風説書に、初めてフランス革命の記事があった。そして、その報告内容は次の2つの事柄のみであった。

・フランス国王の臣下たちが、国王と王子を殺害し国中が混乱したこと。
・オランダを始めとして、近隣諸国がフランスに押し寄せて戦争になったこと。

 どうして、バスティーユ牢獄陥落から5年も経ってから(1793年に処刑された次の年だが)、しかも、このような簡単で間違いのある(処刑されたのは、王子ではなく王妃である)報告になったのだろう。 

 オランダとしては、日本との貿易を重視していたので、フランス革命という事実よりも、その後の戦争によって、日本へのオランダ船の来航が遅れたことの言い訳をするほうが大事だった。また、オランダ人にも「革命」という認識はなく、フランスで起こった事の重大性がわかっていなかった、と謂われている。

 とりあえず、フランス革命の事は、この風説書の記事によって、ごく一部の人々に知られることとなった。この時の幕府の反応はわからないが、基本的にヨーロッパには関心が無かったことと、やはり「革命」という考え自体が理解できなかっただろう。ただ、1796年から1807年まで、オランダ船がほとんど来航しなかったことから、何かがヨーロッパで起こっていると感じたようで、オランダ商館長ドゥーフに問いただしている。この時に、イギリスの植民地だったアメリカが独立していたことを知った。

 幕府のごく一部の人々以外の多くの一般の人々は、いつフランス革命を知ったのか。それは、1868年以後、明治時代になってから、諸外国から情報が入ってくるようになってからだろう。フランス革命から約100年後に日本人は知ることとなった。

ちょこっと最後に…ナポレオンは、江戸時代には大変人気がありました。ナポレオンについては、1811年のゴローニン事件で幕府が知ることとなり、1818年儒学者頼三陽がナポレオンについての「仏郎王歌(フランスおうか)」を詠んだところから、広く人々に知られました。コルシカ島の小貴族出身のナポレオンが大国フランスの皇帝になったということで、幕末の志士たちの憧れとなり、ナポレオンの兵法やブリュネらのフランス軍事顧問団によって、幕府の中にも親仏派が多くいました。  (鈴木規子

〈参考文献〉
『江戸の海外情報ネットワーク』 岩下哲典 吉川弘文館
『それでも江戸は鎖国だったのか』 片桐一男 吉川弘文館
『オランダ風説書』 松方冬子 中公新書
『江戸のナポレオン伝説』 岩下哲典 中公新書

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2010/07/02 11:00:00 日仏歴史談議 | | トラックバック (0)

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