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2011年2月 4日 (金)

日仏歴史談議

王侯貴族に愛された日本の磁器

 フランスの磁器といえばセーヴルが有名だが、18世紀後半には、もっぱら諸王家への外交用贈呈品や廷臣への贈り物とされ、一般民衆が目にすることはな かった。オスカルが近衛連隊長に昇進した時に王妃マリー・アントワネットからの贈り物の中にもきっとセーヴルはあっただろう。
 そのセーヴルに中国磁器はもちろんだが、日本の磁器も大きな影響を与えた。

 陶器は自然に堆積した粘土が原料とされ、磁器の原料には陶石が必要とされ高温で焼成され、はじめヨーロッパには磁器が無かったので、磁器の先進国である中国から輸入していた。ところが、中国で明から清へ王朝が交代する時、対清勢力を封じ込めるため、1656年に貿易を禁止する海禁令が、1661年には遷界令が出され海禁令が強化されたため、中国磁器の輸入が途絶えた。その代わりとして1659年から日本の磁器のヨーロッパへの輸出が始まった。

 日本では、豊臣秀吉朝鮮出兵(1592年文禄の役と1597年の慶長の役)から、九州の諸大名が朝鮮陶工を連れ帰り、彼らの技術によって国産磁器が始まった。1610年、朝鮮陶工のひとり李参平が有田の泉山で良質な白磁鉱を発見し、日本で最初の磁器焼成が始まったといわれている。1640年代、初代酒井田柿右衛門赤絵を大成した。乳白色の素地に赤・青・などの色で絵画的で繊細な色絵付けを施した柿右衛門様式の色絵磁器は、最も高価で、最も魅力的とされた。

 この柿右衛門様式の色絵磁器に特に関心を示したフランスのコンデ公ルイ・アンリ・ド・ブルボンは、シャンティーイ城内に開窯させ、柿右衛門様式を模倣させたりしている。
 大量に輸出されていたが、1680年代には輸出の減退が始まった。その理由として、清が国内を統一し、1684年に貿易禁止令を解く展開令が出され中国磁器の貿易が再開されたこと、逆に江戸幕府は1685年定高貿易仕法を、1715年には海舶互市新例が出され貿易が制限されたこと、そして何より柿右衛門様式の色絵磁器が高騰しすぎたことがあげられる。だが、金泥をさらに上絵付けした豪華絢爛な金襴手が作成されると、後期バッロク時代のヨーロッパの好みに合致し、王侯貴族から高い評価を受けさかんに輸出され宮殿や貴族の館を飾った。
 しかし、1750年代までは輸出されたが、安価な中国磁器におされ、その後はヨーロッパで磁器が発明されたため、ほとんど磁器の輸出はなくなった。

 一方、磁器のなかったヨーロッパでは磁器焼成の実験がいろいろ行われ、ついに1710年ザクセン選帝侯アウグスト1世のもとでカオリンを使用した磁器焼成に成功し、マイセンに磁器製作所が設立された。ここからヨーロッパの磁器の歴史が始まった。磁器焼成の技術は秘法とされたが、フランスにも伝わり、ヴァンセンヌ城内に開窯したヴァンセンヌ窯で1745年に白磁焼成に成功し、1752年に王立磁器製作所となり、製品には王立を表す交差したLのマークがつけられた。1756年にはルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人により、セーヴルへ移転され、「ポンパドゥール・ピンク」といわれるポンパドゥール夫人好みのややくすんだバラ色の磁器が焼成された。フランス革命で一時閉窯したが、ナポレオンによりセーヴル国立磁器製作所として再興し、現在に続いている。

 ところで、アンドレジェローデル少佐にかけたぬるいショコラのはいったカップは、マイセン?セーヴル?中国磁器?日本の磁器?どれだろうか。
 そのカップは、オルモル装飾が施されている。オルモル装飾は、ロココ時代、金鍍金ブロンズで磁器を支えるために台座や蓋、縁飾りなどの装飾のことをいう。オルモル装飾をはずしたカップ(茶碗)には、把手がない。マイセンでは1710年代には把手の付いた磁器が存在し、1730年代には把手付きが主流となり、他のヨーロッパの磁器にも把手が付けられた。また、マイセンやセーヴルにはオルモル装飾はほとんど付けない。では、中国磁器か?日本の磁器か?18世紀の中国磁器では把手付きのカップがヨーロッパに多く輸出されたが、日本の磁器は技術的問題、つまり把手を付けて焼くとゆがみやすいということで、把手は無い。ということは、柿右衛門様式か、金襴手か、ということになるが、金襴手は大型の壺や花瓶が多かったので、アンドレが運んだぬるいショコラのはいったカップは、柿右衛門様式の磁器にオルモル装飾が施されたものだろう。(鈴木規子

ちょこっと最後に…1867年のパリ万国博覧会に日本(江戸幕府・薩摩藩)は初参加しましたが、これを機に、日本の美術工芸品に対する関心が高まるジャポニスムが起こりました。特に、浮世絵はマネ・モネ・ゴッホの印象派の画家らに大きな影響を与えました。この浮世絵をはじめとする日本の美術を積極的にフランスに紹介したのが、画商林忠正です。彼は、1856年に現在の富山県に生まれ、東京大学を出た後、1878年に渡仏、起立工商会社に勤め、ウィーン万国博覧会などで通訳や出展品の説明係として働きます。その後独立し、1900年のパリ万国博覧会の事務官長に就任し大好評を博します。帰国後1906年亡くなりましたが、彼は海外に浮世絵を紹介しただけではなく、印象派を日本に紹介した人物でもあります。

    ◇

〈参考文献〉
『ヨーロッパ宮廷陶磁の世界』 前田正明・櫻庭美咲 角川選書
『海を渡った陶磁器』 大橋康二 吉川弘文館
『宮廷の陶磁器』 英国東洋陶磁学会編 監訳西田宏子・弓場紀知 同朋舎出版
『陶磁の道』 三上次男 出光美術館
『世界をときめかした伊万里焼』 矢部良明 角川書店
『西洋陶磁入門』 大平雅巳 岩波新書
『日本美術史』 辻惟雄監修 美術出版社
『パリの日本人』 鹿島茂 新潮選書
『鎖国を見直す』  永積洋子編  山川出版社

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2011/02/04 18:43:56 日仏歴史談議 | | トラックバック (1)

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