世界史レッスン<映画篇>
「まだまだ生きるんでぃ」 1862年
~アントワネット没後69年~
2012年は日活100周年にあたり、記念行事の一環として、半世紀前に制作された映画をデジタル修正し、ニュープリント版が世界配給されている。
「この一本」と日活が選んだのが、『幕末太陽傳』(川島雄三監督、1957年公開)。文久2年(1862年)の品川宿(しゅく)が舞台だ。この年は生麦事件、前々年には桜田門外の変と、大きな政治的変わり目の時期、したたかに生き抜く庶民の泣き笑いが活写される。
――江戸に隣接する品川宿は、遊郭でにぎわっていた。人気女郎を抱える旅籠(はたご)、相模屋に、あるとき佐平次という調子のいい男がお大尽(だいじん)風を吹かせてあらわれ、数日にわたり豪遊。さんざん遊んだ末に、実は一文無しなのでここで働いて返済したい、とのたまう。
ふつうなら只ではすまないところ、この佐平次、妙に人なつこくて憎めない上、驚くほど仕事ができる。下働きからはじまり、男衆を束ね、女郎の悩み事相談に乗り、客とのトラブルを全て丸くおさめるなど、たちまち相模屋になくてはならぬ人材となってゆく。
この旅籠には攘夷(じょうい)派の志士たちも逗留(とうりゅう)しており、佐平次は彼らとも互角にわたりあって、来るべき国の行く末にも思いを馳せるのだ。
脚本はオリジナルながら、随所に古典落語(「居残り佐平次」「品川心中」など)が散りばめられ、江戸っ子の笑いのセンスの良さも味わえる。
ただし本作の笑いの裏には、常に死の影が濃く差している。一見、底抜けに陽気な佐平次だが、死病にとりつかれていた。労咳(ろうがい)だ。
かつて日本では、肺結核は労咳(漢方用語)と呼ばれ、呪いのように見做されていた。特効薬もなく、罹患(りかん)すれば死はほぼ確実だったからだ。
結核が空気感染する伝染病とわかったのは、1865年、ドイツのコッホが結核菌を発見したのは、1882年、劇的治療効果のあるストレプトマイシンができたのが、さらに遅い1944年。そこに至るまで、結核は死と同義であり、世界中を震撼させていた。
『幕末太陽傳』には高杉晋作も登場するが、彼もまた死因は結核である。国を改革しようとする者も、気楽に暮らすのだけが願いの庶民も、死にまとわりつかれながら短い命を懸命に生きていた。
ラスト、佐平次は、「俺はまだまだ生きるんでぃ」と言いながら、やみくもに走り去ってゆくのだった。 (中野京子)
幕末太陽傳
監督: 川島雄三
出演: フランキー堺、南田洋子、左幸子、石原裕次郎、芦川いづみ
公開: 1862年
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中野京子さんの著書
書名:印象派で「近代」を読む
出版社:NHK出版(216ページ)
発売日:2011年6月8日
価格:1050円(税込)
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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2012/03/13 9:40:26 世界史レッスン<映画篇> | Permalink | トラックバック (1)
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