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2012年10月25日 (木)

ベルサイユの音楽会

ベルサイユ宮殿での音楽はどんな風だったの?(3) ワルツ

皆様こんにちは。

ようやく秋らしくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか? さて、「ベルサイユの音楽会」では、ベルサイユ宮殿での音楽はどんな風だったの?シリーズの3回目。今回は 『ワルツ』 についてお話ししていきたいと思います。

ワルツというのは、実はベルサイユのばら 時代に発展や開花した舞曲と思われがちですが、実はそうではありません。
ワルツが開花したのは、革命が終わってから、もう少しした19世紀の頃。 しかし、起源はとても古く、マリー・アントワネットの実家のハプスブルク帝国が深く関わっています。

ワルツは、13世紀のハプスブルク帝国時代(現ドイツ、現オーストリアの一部)に、農民が踊っていたダンスから生まれました。 そのダンスは、男女が身体の一部を接して回りながら踊るというものだったのですが、当時のハプスブルク帝国と教会が、それらを下品なものとみなし、禁止してしまいます。 しかし、あまりに人気が出たため、禁止する事も出来なくなってしまい、下品と思われる部分を現在のような形に少し踊りを変え、また、名前も時代と共に色々と変わりながら、ワルツは受け継がれてきました。

そして、18世紀になると、ハプスブルク王宮でも正式に認められるようになり、その周りの諸国、もちろんフランス王宮へもワルツは流れてきました。マリー・アントワネットや、フェルゼンオスカルなどの、貴族が踊っていたのもこの頃ですね。 その後、19世紀に入り、1814年のウィーン会議でウィンナワルツとして広まり、世界中で爆発的人気が出ました。

作曲家のランナーやヨハン・シュトラウス親子はウィンナワルツの創始者といわれ、現在のワルツという形を完全に定着させました。そして、ヨハン・シュトラウス2世は、「ワルツの王」と言われるほど、多くのワルツを作曲しました。 それらの19世紀のワルツブームは、バレエ、オペレッタ等に大きな影響を与え、器楽曲でもオーケストラ用の編成として作曲されるようになっていきました。

現在では、『ワルツ』と言うと、誰でも聴いた事がある、3/4拍子の曲ですが、こうして13世紀からの歴史を見ていくと、とても歴史が深く、人々が禁止されながらも受け継いで来た、とても大切な舞踏曲の一つなのだという事がわかりますね。

次回のベルサイユの音楽会では、〈ベルサイユ宮殿での音楽はどんな風だったの?(4)〉 を書きたいと思います。(Eriko

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投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ  2012/10/25 16:16:14 ベルサイユの音楽会 | | トラックバック (0)

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