2013年2月末をもってブログの更新を終了いたしました。 ⇒詳しく
e-book Japan ベルサイユのばら

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世界史レッスン

  ~アントワネット37歳~

 「世界史レッスン」は<正篇>としてはいちおう今回をもって終了いたします(来月からは<映画篇>)。というわけで最終回は、やはりロココの薔薇アントワネットに登場してもらわなくては!

… (08/09/30)

  ~アントワネット没後73年~

 煮ても焼いても食えないナポレオン3世の口車に乗せられ、はるかメキシコの地で最期を迎えねばならなかったハプスブルク家のマクシミリアンについては、「梯子を外したナポレオン3世」で書いた。

… (08/09/23)

  ~アントワネット没後70年~

 ひとつの恋に纏綿(てんめん)とし、ついには身を滅ぼした哀れな女性の例は「ユゴーの娘アデル」で書いた。今回は、同時代・男性版。

… (08/09/16)

  ~アントワネット没後65年~

 いま公開中の『コレラの時代の愛』(マイク・ニューウェル監督、ガルシア・マルケス原作)は、恋した人を50年以上も待ち続けた男の、奇妙で滑稽で、にもかかわらず感動的な物語だ。

… (08/09/02)

  ~アントワネット生誕年~

 次の事件・事故・天災は、どの国で起こったものでしょう?以下から選んでください。

a)オスマントルコ  b)ポーランド  c)ポルトガル  d)オランダ  e)アイルランド

… (08/08/26)

  ~アントワネット没後34年~

 童話「マッチ売りの少女」は、アンデルセンが自分の母親をモデルに書いたと言われている。極貧の生まれだったアンデルセンの母は――このお話の哀れな少女と同じく――、幼いころ道ばたでマッチの束を売っていたという。

… (08/08/19)

  ~アントワネット没後74年~

 「梯子(はしご)を外される」という言い回しがある。上にのぼったはいいが、いつの間にか梯子を持ってゆかれ、下りられない――それと同じように、いったんは祭り上げられたものの味方に裏切られ、困難な立場へ追い込まれることをいう。

… (08/08/12)

  ~アントワネット35歳~

 フランス啓蒙期の思想家ルソーが、実子5人を次々孤児院へ捨てていたことは以前書いた(「ルソーの教育論とその実態」参照)

… (08/08/05)

   ~アントワネット没後8年

 先週は父帝による息子殺しのエピソードだったが、反対に息子が父を亡き者にして帝位を奪った例もちゃんとある。しかもそこへ至る前段階で、すでにもう凄まじい事件が起きていてーー

… (08/07/22)

  ~アントワネット生誕37年前~

 一国の絶対君主ともなると、親子喧嘩(夫婦喧嘩もだが)凄まじい権力闘争から文字どおり死闘へと直結する場合がある(プロイセンのフリードリヒ大王が、危うく父王に処刑されかけたエピソードは以前書いた)。今回はロシアの二例――

… (08/07/15)

  ~アントワネット没後70年~

 ヴィクトル・ユゴーについては、先週少しだけ触れた。ロマン派の代表的詩人・作家として名高く、政治家(上院議員にまでなった)としても活躍している。

… (08/07/08)

  ~アントワネット没後24年~

 南フランスのアヴェロン県は、『昆虫記』で有名なファーブルの生地であり、狼に育てられたといわれる「オオカミ少年」こと「アヴェロンの野生児」が発見された場所でもある。現在の県庁所在地はロデーズ。

… (08/07/01)

  ~アントワネット生誕18年前~

 「血族結婚くり返しの果てに」で書いたように、スペイン・ハプスブルク家はカルロス2世をもって約200年の歴史を閉じた。次の玉座を奪い取ったのはブルボン家。ルイ14世の孫フィリップが、フェリペ5世として17歳でスペインに君臨することになる。

… (08/06/24)

  ~アントワネット生誕31年前~

 『アラビアン・ナイト』こと『千一夜物語』は、<枠物語>(大きな枠となる物語の中に、複数の物語が入っている)ジャンルの典型だ。つまり美女シェヘラザートが千一夜にわたって王にお話を聞かせる、というのが大枠で、その中に「アリババと40人の盗賊」「船乗りシンドバット」「アラジンと魔法のランプ」etc,がぎっしり詰まっている次第。

… (08/06/17)

  ~アントワネット生誕75年前~

 イギリスの女流作家メアリ・ワートリ・モンタギューは、18世紀初頭にウィーンへ旅し、大流行のフォンタンジュ型ヘアスタイルについて、次のように報告している。

… (08/06/10)

  ~アントワネット没後33年~

 ナポレオンの妃となったハプスブルク家皇女マリー・ルイーズには、6歳下の妹マリー・レオポルディーネがいた。美女とはいえないが、兄弟姉妹の中でもっとも頭脳明晰で果敢(かかん)、曾祖母マリア・テレジア女帝似とされた。そのレオポルディーネが20歳のとき、結婚話が持ち上がる。

… (08/06/03)

  ~アントワネット没後18年~

 先週触れたように、モーツァルトの遺品の中には『クリスチャン・エーヴァルト・フォン・クライスト全集』も入っていた。18世紀に人気を博した詩人だが、子孫には戯曲家として名高いハインリヒ・フォン・クライストがいる。

… (08/05/27)

   ~アントワネット36歳~

 ピーター・シェーファーの傑作戯曲『アマデウス』は、映画化(1984年、ミロシュ・フォアマン監督)されて世界的にヒットしたこともあり、軽佻浮薄(けいちょうふはく)なモーツァルト像を決定づけてしまった。

… (08/05/20)

  ~アントワネット生誕30年前~

 1725年、ポーランド王女マリ・レチンスカが、ルイ15世のもとへ嫁いできた。地味で目立たず魅力のない22歳と、「憂いをふくみ、氷のように冷たく非情な美青年」15歳のカップル誕生だ。

… (08/05/13)

 ~アントワネット没後15年~

 源義経は兄の頼朝に追われ追われて奥州へ逃げ、衣川の舘で自害して果てた。生首は鎌倉まで運ばれたが、ふつうでは考えられないほどの遅い到着だったため、本人確認はできなかったとされる。

… (08/05/06)

  ~アントワネット没後50年~

 19世紀のチェコはまだオーストリア領で、ハプスブルク家に支配されていた。そのチェコのブリュノ(現ブルノ)という町に古くからあるアウグスチヌス修道院へ、1843年、21歳の若者が見習いとして入ってきて、グレゴールという修道名を与えられた。

… (08/04/22)

  ~アントワネット生誕57年前~

 今回は久々にクイズです。以下の王たちが登場するオペラはどれでしょう?( )内は作曲家。

… (08/04/15)

  ~アントワネット32歳~

 三島由紀夫尾崎紅葉泉鏡花について、こう書いている――「作家の年齢というのは不思議なもので、師としての紅葉、その忠実な門弟としての鏡花を考えると、今日なお、紅葉は美髭を蓄えた立派な明治の文豪であり、鏡花はそれよりも若い才気煥発(かんぱつ)の白面の青年という感じがする。ところが実際は、紅葉は37歳で死んでいるのであり、鏡花は67歳まで生きのびたのである」。

… (08/04/08)

  ~アントワネット生誕4年前~

 ジンはワインやビールに比べ、歴史の新しいアルコールだ。17世紀半ばにオランダの化学者が、杜松(ジェーニバー)の実から開発した。発音が縮まって、ジンと呼ばれるようになる。

… (08/04/01)

  ~アントワネット没後25年~

 史上最悪の王と言われたイギリスのジョージ4世が、世継ぎのないまま逝去(せいきょ)すると、65歳の弟がウィリアム4世として戴冠した。

… (08/03/25)

  ~アントワネット没後39年~

先週のクイズの答え。でもその前に、ヒントは何だったかというと――「夫の姉の息子」「皇帝の孫」「フランス人の父」など。ゾフィ夫カール大公の姉といえば、皇女ルイーズ。彼女が母親なのだから、父親は当然・・・

… (08/03/18)

  ~アントワネット没後31年~

 歴代ハプスブルク家第一の美女エリザベート皇后を描いたウィーン産ミュージカル『エリザベート』で、彼女をいじめる憎々しい仇(かたき)役として登場したのが、フランツ・ヨーゼフの母、つまりエリザベートの姑、ゾフィ皇太后である。

… (08/03/11)

  ~アントワネット没後82年~

 ピンカートン私立探偵社が北部の大企業と結びついていたことは、先週書いた。当時はまだFBIがなかったので、一私企業の探偵社が警察活動の一端を担い、犯罪者を捕まえていたのだ。

… (08/03/04)

  ~アントワネット没後57年~

 世界初の私立探偵は誰か?--2説あり、ひとりは元犯罪者で6回も脱獄をくり返しながら更正し、探偵として警察に協力、ジャン・バルジャン(『レ・ミゼラブル』の主人公)のモデルとも言われるフランス人ヴィドック。もうひとりがアラン・ピンカートンである。

… (08/02/26)

  ~アントワネット没後30年~

 先週書いたように、スウェーデンの新王となったのは、生粋(きっすい)のフランス人ベルナドット元帥だった。彼とナポレオンとの関係は―最終的には袂(たもと)を分かつとはいえ―運命的と言えるほど深い。

… (08/02/12)

  ~アントワネット没後25年~

 日本は第二次世界大戦で敗れたが、もしこの時アメリカが、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥を昭和天皇の跡継ぎにせよ、と言い出したらどうなっていただろう?想像を絶する。ところがそれに近い形で、敵国の平民上がりの元帥を国王に受け入れ、その王朝を今に続けている例がある。スウェーデンだ。

… (08/02/05)

  ~アントワネット没後59年~

 今の日本人が18,19世紀のパリ都市部へ連れてゆかれたら、文字通り鼻が曲がるか、場合によっては窒息死してしまうかもしれない。何しろ当時のパリっ子でさえ、トイレの毒気に当てられて、ほんとうに死んだ者がいたというのだ。

… (08/01/29)

  ~アントワネット没後36年~

 18世紀以来、人体への解剖学的関心の高まりとともに、医学用の死体が不足しはじめる。絞首刑にされた殺人犯の死体を使うことになっていたのだが、需要と供給がアンバランスになったのだ。

… (08/01/22)

  ~アントワネット生誕72年前~

 「王妃になって以来、幸せな日はたった1日しかなかった」--死の床で、ルイ14世妃マリー・テレーズはそうつぶやき、1683年、43歳の短い生涯を終えた。 

… (08/01/15)

  ~アントワネット没後8年~

 明けましておめでとうございます。今年も「世界史レッスン」をどうぞよろしく!――こうご挨拶するのも、もう2回目ですね。月日のたつのは何と早いことでしょう!

… (08/01/08)

  ~アントワネット生誕57年前~

 『イワン雷帝とその息子』で知られるロシアの巨匠レーピン(拙著『怖い絵』参照)は、同じく遠い歴史を題材に『皇女ソフィア』も描いている。これまた物凄まじい迫力の肖像画だ。(⇒こちらをクリック

… (07/12/25)

  ~アントワネット没後17年~

 ナポレオンは自らの出世に伴い、弟妹たちを王侯貴族に取り立てた。しかしこれは相手の幸せを願ってというより、政略的に利用するためであったから、凡庸(ぼんよう)な彼らを右往左往させてしまった。天下の風雲児を兄にもつのも大変なことなのだ。

… (07/12/18)

  ~アントワネット没後38年~

 一族は代々、イギリスの富裕で高名な医師という家柄だった。チャールズは6人兄弟の5番目。祖父は名の知れた哲学者にして医師、父も医師で投資家、母は陶磁器で有名なあのウェッジウッド家の出身である。

… (07/12/11)

  ~アントワネット生誕3年前~

 わたしたちが現在使っているカレンダーは太陽暦の「グレゴリオ暦」と言い、驚くなかれ、日本に導入されたのは1872年。まだ150年もたっていない(それまでは「旧暦」、つまり太陰太陽暦だった)。

… (07/12/04)

  ~アントワネット没後31年~

 ベートーヴェンが「第九交響曲ニ短調合唱付き」を完成した当時、ヴィーン子が夢中になっていたのはロッシーニのイタリア・オペラだった。新聞評にも、「モーツァルトやベートーヴェンはもう古い。音楽とはロッシーニのオペラのことだと、我々は初めて教えられた」などと書かれるしまつ。ベートーヴェンはむくれた。

… (07/11/27)

  ~アントワネット没後44年~

 アンデルセンの片思いの相手であり、童話『ナイチンゲール』などのモデルでもあったスウェーデンのソプラノ歌手ジェニー・リンドは、ヨーロッパ・オペラ界を引退したあと、アメリカでのコンサート・ツアーをおこなった。

… (07/11/20)

  ~アントワネット没後39年~

 フランス革命とナポレオン戦争の後始末のため開かれたヴィーン会議で議長をつとめたオーストリア外相メッテルニヒは、自由主義運動家たちを弾圧するのに忙しく(?)、ストレスも多かったのだろう、甘いものに眼がなかった。

… (07/11/13)

 ~アントワネット没後7年~

 先月、面白いニュースが世界をかけめぐった。ブッシュ大統領の娘ジェンナさんが雑誌のインタビューで、ホワイトハウスにはたくさん幽霊がいて怖い、と語ったというのだ。

… (07/11/06)

~アントワネット生誕72年前~

皮肉屋のバーナード・ショー(ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』の作者)は、ある女優から「あなたの頭脳とわたしの容姿を持ち合わせた子どもが生まれたらステキよね」と暗にプロポーズされ、「わたしの容姿とおまえさんの頭脳を持った子ができたら、どうするんだい」と言い返した由(嫌な男ですね!)。

… (07/10/30)

  ~アントワネット生誕19年前~

 家康の6番目の男子、忠輝は、容貌がきわだって劣っていたという。生れ落ちた瞬間もう家康から、「この子は捨てよ」と言われたし、晩年にも、「御丈は低く、御眼は大きく逆つりて、すさまじき御容態に御座候(そうろう)」と書かれているほどだ。

… (07/10/23)

   ~アントワネット生誕35年前~

 カリブの海賊は男ばかりとは限らない。驚くことに、オスカルのような、戦う男装の麗人も実在した!

… (07/10/16)

  ~アントワネット生誕53年前~

 ドイツ人で英語は話せず、すでに54歳にもなっていたハノーヴァ家のゲオルクが、イギリスのジョージ1世として戴冠するめぐりあわせになったのは、前女王アンに世継ぎがいなかったからである。

… (07/10/09)

 ~アントワネット没後37年~

 太陽王ルイ14世は、ひとり息子やふたりの孫より長生きしたので、あとを継いだルイ15世は曾孫(ひまご)だった。こちらも息子より長生きし、16世となったのは孫である。

… (07/10/02)

  ~アントワネット誕生27年前~

 コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』には、なかなか世継ぎの生まれないのを心配したアントワネットの兄ヨーゼフがヴェルサイユを訪問し、動物園のゾウを見物しながら(ヴィーンでもゾウは飼育されていたから、ヨーゼフにとっては大して珍しくなかっただろう)、ルイ16世と男同士の微妙な会話をかわすシーンが出てきた。

… (07/09/25)

  ~アントワネット生誕43年前~

 「妻を32年も幽閉したジョージ1世」で書いたように、悲劇の王妃ゾフィア・ドロテアは、息子(後のジョージ2世)が11歳、娘が9歳のとき引き離され、それきり面会さえ許されなかった。

… (07/09/18)

  ~アントワネット生誕14年前~

 ザルツブルクから勇躍ヴィーンへ出たモーツァルトは、この地でおびただしい数の作品を産み、高収入を得ながら、1791年、謎だらけの死を遂げたあげく、貧民墓地へ葬(ほうむ)られた。

… (07/09/11)

  ~アントワネット没後44年~

 先週あげた著名な決闘経験者たちは、いずれも負傷したり負傷させられたりはしたものの、命のやりとりまではしていない。だがフランスの天才数学者ガロア--相対性理論にも影響を与えたとされる--は、ひとりの女性をめぐって決闘となり、わずか20年という若すぎる命を終えている。

… (07/09/04)

  ~アントワネット没後77年~

 決闘の起源は、ゲルマン社会に古くからあった裁判の一形式だといわれている。やがてそれが15世紀末、いわゆる「名誉のための決闘」がフランスで始まり、またたくまにヨーロッパ中にひろがった。

… (07/08/28)

  ~アントワネット没後46年~

 ロシアにおける農奴制は、エカテリーナ女帝のもとで強化され、領主による農奴の人身的隷属(れいぞく)はいっそう過酷なものとなった。

… (07/08/21)

  ~アントワネット生誕15年前~

 豊臣秀吉は57歳になってからようやくさずかった息子、秀頼が可愛くてならず、何としても天下を継がせたいと願った。そこで徳川家康をはじめとする五大老五奉行にくりかえし誓詞(せいし)を書かせ、自分の死後も秀頼に忠義を尽くすと誓わせた。死の床では家康の手をにぎり、涙を流して頼みもした。

… (07/08/07)

  ~アントワネット没後30年~

 温泉保養地として名高いボヘミアのマリーエンバートには、フォン・レヴェツォー未亡人の宏壮な別邸があり、名士たちの宿泊場ともなっていた。ゲーテも毎夏招かれ、1ヶ月ほど滞在するのが常だった。

… (07/07/31)

  ~アントワネット没後55年~

 メンデルスゾーンの父は、よく次のように言っていた--「わたしは有名な父と有名な息子をつなぐ、ただのダッシュ記号にすぎない」。

… (07/07/24)

  ~アントワネット生誕17年前~

 「謎の秘密結社」といわれるだけあり、フリーメーソンについてはわからないことだらけだ。その分、さまざまな陰謀説と結びつきやすく、モーツァルトやヨハネ・パウロ1世を殺したのも彼らであり、フランス革命やアメリカ独立戦争を陰で導いたのも彼らだ、との説まである。

… (07/07/17)

  ~アントワネット生誕25年前~

 コメディ・フランセーズの看板女優アドリエンヌ・ルクヴルールが、1730年初春、舞台で突然倒れ、2週間後そのまま息を引き取った。まだ37歳。死因は不明。世間は恋仇(こいがたき)ブイヨン公爵夫人に毒殺されたと噂した。

… (07/07/10)

  ~アントワネット没後40年~

 19世紀前半のヨーロッパ・オペラ界において、パリでの成功と作品の成功はほとんど同義語になっていた。ナポレオンが創設したイタリア座では、ロッシーニが音楽監督をしており、有望なイタリア人作曲家たちを次々招聘(しょうへい)していた。

… (07/07/03)

  ~アントワネット没後10年~

 食べる心配がなくなり、生活が安定すれば、庶民の女性たちだっておしゃれしたくなるのは当たり前。江戸時代には、大型の鏡や化粧品が大量に生産され、美女への道を指南(しなん)する本も各種出版された。

… (07/06/26)

  ~アントワネット没後71年~

 名門バイエルン王国で1864年、18歳のルートヴィヒ2世が即位した。まるで絵から抜け出たような美貌・長身の新王に国民は熱狂、大きな期待を寄せる。ルートヴィヒの方も、最初は政務に意欲を見せた。

… (07/06/19)

  ~アントワネット没後36年~

 モーツァルトが35歳で急死したとき、あとには珠玉の作品群600と多額の借金、妻、そしてふたりの息子 ― 7歳のカール・トーマスと生後6ヶ月足らずのフランツ・クサーヴァー ― が残された。

… (07/06/12)

  ~アントワネット没後32年~

 「光を、もっと光を!」--これはゲーテ臨終(りんじゅう)の言葉として名高いが、本人としては別に崇高な意味での「光」を求めたわけではなく、寝室が暗いのでカーテンをもっと開けて光を入れてほしい、程度のことだったらしい。後世のゲーテ信奉者たちが、それを深読みしたのだろう。

… (07/06/05)

  ~アントワネット没後90年~

 インドネシアは1万以上もの島からなり、長い火山帯が走っていて活火山も数多い。その中のクラカタウが大噴火を起こしたのは、1883年の夏だった。爆発音は、3600キロも離れたオーストラリアにまで響いたという。

… (07/05/29)

  ~アントワネット生誕19年前~

 後年、土佐藩主となった山内一豊には千代(実名かどうかの確証なし)という賢夫人がいて、貧しいころからこつこつヘソクリで貯めたお金を「ここぞ」という時に差し出し、夫を出世させたのだそう。立派ですね。

… (07/05/22)

  ~アントワネット生誕20年前~

 イギリス人は絵も音楽もへた、と陰口をきかれるなか、「イギリス最初の大画家」と呼ばれたのが、ウィリアム・ホガースだ。彼の人気作品に、8枚連作『放蕩児一代記』(1735年)がある。

… (07/05/15)

  ~アントワネット生誕58年前~

 シャルル・ペローが童話集(正式には原本2冊から成り、有名な「シンデレラ」「長靴をはいた猫」「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「眠れる森の美女」etc.が収録されている)を出版したのは1697年。公職を辞した後の、いわば晩年の手すさびに近かったろう。

… (07/05/08)

  ~アントワネット20歳~

 今回はかなり難易度の高い問題です。次の芸術家(①~③は音楽家、④~⑧は画家、⑨⑩は作家)が仕えた、あるいは作品を献上した王・皇帝は誰でしょう?半分できたら、優。

… (07/05/01)

  ~アントワネット15歳~

 「今にして思えばあれはひどく不吉な予兆だった」と感じるようなことが、歴史上にはしばしば見られる。今回はハプスブルク家の18世紀、19世紀、20世紀から1例づつ。

… (07/04/24)

  ~アントワネット没後26年~

 ナポレオン戦争の余波で父親を亡くしたハンス・アンデルセンが、母に連れられ、占い師のもとへ行ったのは1819年、14歳のときだった。母は怠け者の息子を立ち直らせたい、夢ばかり追わず現実を見てほしいと願い、占い師に説教のひとつもしてもらいたいと思ったのだ。

… (07/04/17)

  ~アントワネット死後22年~

 ナポレオンがエルバ島を脱出し、パリへ向かって進軍中との報は、全ヨーロッパを震撼(しんかん)させた。

… (07/04/10)

  ~アントワネット生誕28年前~

 最悪の夫にして父、そして国民の不人気ナンバーワンのイギリス王といえば、ジョージ1世であろう。『名曲で赦される』で触れたように、彼はドイツ人(ハノーヴァ選帝侯ゲオルク)でありながら、さまざまな政治的思惑からアン女王のあとを継ぐことになった。54歳のときだ。

… (07/04/03)

  ~アントワネット21歳~

 「サンドイッチ」「シルエット」「リンチ」--これらの言葉は、いずれも18世紀に実在した人物の名前から取られたという。「ギロチン」がギヨタン博士からきているのと同じ。

… (07/03/27)

  ~アントワネット生誕51年前~

 『カルメン』(1845)の作者メリメは、多彩な才能で知られた。執筆時、彼は遺跡監督官という役人であり、また考古学者、言語学者、ロシア文学翻訳者、海外通信員、後には上院議員にまでなった。

… (07/03/20)

  ~アントワネット没後23年~

 ナポレオンの失脚により、ルイ16世の弟プロヴァンス伯がルイ18世としてフランスへもどってきた。王政は復古し、亡命貴族たちも続々帰国して、革命で没収された土地財産の賠償を求めはじめる。

… (07/03/13)

  ~アントワネット死後34年~

 「しかるべき努力をしないなら、わたしはおまえを、壊疽(えそ)にかかった手足のように切り捨てるつもりだ。わたしの一人息子だからといって安心するなよ」

… (07/03/06)

  ~アントワネット没後84年~

 シンクロニシティ(共時性)とは、「いくつかの出来事が偶然に、しかしまるで偶然以外の何かが作用しているかのように、同時に起こること」を言う。ユングの定義では、「本人にとって重要な意味を持つ偶然の一致」。

… (07/02/27)

  ~アントワネット38歳~

 絶体絶命の意味で使われる「土壇場(どたんば)」という言葉がある。これは江戸時代、刀剣の切れ味を調べるため牢内に土壇を築き、そこへ処刑された者の胴体などを置いて試し切りしたことからきている。

… (07/02/20)

  ~アントワネット36歳~

 ギロチン(フランス語だとギヨティーヌ)が、パリの医師であり当時の第3身分議員だったジョゼフ・ギヨタンの名前を冠したものだということは、今ではよく知られている。だが実はギヨタン氏は、この処刑機械を発明したわけでも製作したわけでもなかった。また彼自身最後はギロチンで首をはねられたとの言い伝えがあるが、ほんとうは病死だった。 

… (07/02/13)

 ~アントワネット死後48年~

 1830~40年代イギリスで、大きな大衆的盛り上がりを見せたのは禁酒運動である。何の楽しみもない労働者たちが、余暇といえば強い安酒で酔っぱらい、犯罪に走ったりアルコール中毒になって命を落としたりして、社会問題になっていたからだ。

… (07/02/06)

  ~アントワネット9歳~

 いま公開中の映画『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督)に、アントワネットがルソーの本を友人たちに読み聞かせるシーンがある。史実かどうかは疑わしい。とはいえ彼女がトリアノンに人工農村アモー(小集落)を作らせたのは、間違いなくルソーの「自然に帰れ」の影響だった。

… (07/01/30)

  ~アントワネット38歳~

 名画は略奪され、損傷され、焼かれ、贋作(がんさく)され、他人の手で妙なものが描き加えられ・・・いろんな災難に巻き込まれてきた。

… (07/01/23)

  ~アントワネット生誕15年前~

 「売り家と唐様(からよう)で書く3代目」という川柳がある。

… (07/01/16)

 ~アントワネット26歳~

 明けましておめでとうございます。今年も中野京子の「世界史レッスン」をどうぞよろしく!

… (07/01/09)

  ~アントワネット没後26年~

 先週書いたように、デンマーク王妃の恋人はたった3,4年の短い愛の日々の後、惨(むご)たらしく殺された。一方、政権が転覆しようと監獄へぶちこまれようと国外追放になろうと、しぶとく84歳まで長生きしたのが、<スペイン史上最悪の王妃>マリア・ルイサの恋人、マヌエル・ゴドイである。

… (06/12/26)

  ~アントワネット17歳~

 1772年4月、コペンハーゲンでひとりのドイツ人が処刑された。罪状は「王権強奪」。大罪にふさわしく、5000人もの軍隊に囲まれての刑執行だった。 

… (06/12/19)

  ~アントワネット24歳~

 マリー・アントワネットがコンシェルジュリの孤独な監獄で、クックの航海記を読みふけった話は以前書いたが、このキャプテン・クックことジェームス・クックは彼女と同時代人である。

… (06/12/12)

  ~アントワネット死後27年~

 「交響曲の父」と呼ばれるハイドンの人生は、その作品と同じく穏やかで幸福感にあふれ、名声に包まれた満ち足りたものだった。

… (06/12/05)

~アントワネット35歳~

 水戸黄門の諸国行脚(あんぎゃ)が事実でなかったことは、今ではよく知られている。だが伝説となったからには、やはりそれなりの理由はあって--

… (06/11/28)
 ~アントワネット没後21年~

 後世に「サディズム」という言葉を残した作家、サド侯爵は、背徳罪などによって幾度も投獄、脱獄、再逮捕をくりかえした(バスティーユ監獄に入れられていたこともある)が、最後は精神病院に閉じ込められ、1814年に亡くなった。

… (06/11/21)

 ~アントワネット7歳~

 フリードリヒ大王は、当時の王侯たちに人気が高かった。理由はいくつもある。

… (06/11/14)

  ~アントワネット没後55年~

 デュマ・フィスが自分の体験をもとに「椿姫」を書いたのは、1848年。その5年後にヴェルディがオペラ化して、現代に至るまで不動の人気を誇っているのは周知のとおり。

… (06/11/07)
  ~アントワネット37歳~

 今週はクイズです。次の人物が一時期愛読していた本はどれでしょう?番号を結びあわせてください。

… (06/10/24)

  ~アントワネット死後56年~

 フランス革命のひとつの要因に、アメリカ独立戦争がある。反イギリスのフランスはアメリカへ多くの援軍を送り、帰国した兵士たちが、王のいない自由で新しい国家についての情報を祖国へもたらし、やがてそれが民衆蜂起を促していった。

… (06/10/17)

~アントワネット生誕42年前~

 前回は、マイセン陶器の礎(いしずえ)を築いたベットガーについて書いた。今回はその続きで、彼を半ば幽閉状態にして錬金を迫った、フリードリヒ・アウグスト1世のエピソードを。

… (06/10/10)

  ~アントワネット生誕36年前~

 錬金(れんきん)術をひとことで説明するのはなかなか難しい。安価な金属を精錬して黄金に変えようとの科学?技術であり、一種の神秘哲学でもあり、医学と結びついて不老不死の霊薬調合までをも目指す、古代・中世の学問、とでも言えばいいだろうか。

… (06/10/01)

 

  ~アントワネット生誕19年前~

 不倶戴天(ふぐたいてん)の仇同士になる以前、マリア・テレジアとフリードリヒ大王は政略結婚させられそうになったことがある。実現していれば、ヨーロッパ勢力地図は大幅に書き換えられ、まちがいなくナポレオンも出てはこられなかっただろう。

… (06/09/26)

~アントワネット15歳~

 「スペイン人は母の胎内から踊りながら出てくる」と言われるほどダンス好きだし、「オランダ人は生まれながらにして画家」の由。そしてヴィーン子となると、「食事のことしか考えない」?

… (06/09/19)

   

~アントワネット10歳~

 17、18世紀のヨーロッパ(イギリスのみ例外!)は、フランス文明に覆われていた時代といっていいだろう。どの国の王もヴェルサイユに似た宮殿を建てたがり、どの国の貴婦人もフランス・ファッションを取り入れたがり、へたでも何でもフランス語をしゃべりたがった。

… (06/09/12)

~アントワネット没後23年~

 先週はゴシック小説(SF小説という人もいる)『フランケンシュタイン』とフランス革命をつなぐ、細い糸についてだった。今回はその続き、というよりその前夜。

… (06/09/05)

~アントワネット没後25年~

 フュースリの『夢魔』は、フランス革命8年前に描かれた。ベッドへ身体を投げ出し、死んだように眠る若い女性の腹の上に、奇怪で醜悪な夢魔(incubus=睡眠中の女性をレイプするといわれる)が座る無気味な作品だ。

… (06/08/29)

~アントワネット生誕15年前~

 軍人王とあだ名されるほど無骨で、自国を強化し絶対王政を確立させることに邁進(まいしん)していた父は、世継ぎの息子が気に入らなかった。哲学書を読み、オペラを聴き、フルートを吹く、「女の腐ったような奴」なのだ。

… (06/08/22)

~アントワネット23歳~

 1778年、マリー・アントワネットの初産(ういざん)は50人の貴族たちが見物する中、無事終了した。女児誕生のその直後、しかしアントワネットは部屋の蒸し暑さとストレスに耐えかね、失神してしまう。

… (06/08/08)

~アントワネット死後11年~

 ナポレオン・ボナパルトが、1804年、王より偉大な「フランス人民の皇帝」として戴冠したとき、裏切られたと感じた人々は少なくなかった。

… (06/08/01)

~アントワネット生誕30年前~

「ダモクレスの剣」という言葉がある。玉座の上に髪の毛1本でつるされた剣のことで、栄華にある王位も命の危険と隣りあわせという故事からきている。

… (06/07/25)

~アントワネット没後3年~

 (1)次のあだ名(&悪口)の主は誰でしょう?<正解は最下段>

… (06/07/18)

~アントワネット誕生38年前~

 イギリスのアン女王が13年間の治世の後、世継ぎのないまま亡くなった。例のごとくすったもんだの王位継承争いを経て、ジョージ1世が誕生する。

… (06/07/11)

~アントワネット誕生3年前~

 美男王ルイ15世は、自分を「大いに愛される王」と呼ばせたがったが、実際にはむしろ「大いに愛する王」で、ベッドのお相手は星の数ほど。

 

… (06/07/04)

~アントワネット36歳~

 帝位についておよそ30年、今やロシア黄金期の女帝としてまばゆく君臨する62歳のエカテリーナ2世と、壮麗な夏の離宮で直接言葉をかわした日本人がいる。

… (06/06/27)

~アントワネット20歳~

 人相への関心は古代から連綿と続いていたが、かつてない熱狂を引き起こし、1世紀以上も<正当な科学>と認知されることになったのは、スイスの神学者ヨハン・カスパール・ラファーターが書いた「観相学断章」がきっかけである。

… (06/06/20)

~アントワネット生誕55年前~

 1700年、カルロス2世がついに世を去る。39歳の誕生日直前だった。この王にしては、存外、長生きしたといえよう。世継ぎは残せず、ここにスペイン・ハプスブルク王朝200年の歴史が幕を閉じた。

 

… (06/06/13)

~アントワネット17歳~

 18世紀ヨーロッパの日常は、現代からは想像もできないほど荒々しく、血なまぐさいものだった。

… (06/06/06)

~アントワネット誕生68年前~

 フランス王太子ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの結婚披露行事のなかには、花火見物や大舞踏会などのほかに、オペラ上演もふくまれていた。

… (06/05/30)

~アントワネット没後14年~

ルーヴル美術館で、誰もがまっさきに見たがるのは「モナ・リザ」だが、もう1点、誰もが必ず足をとめてしまう絵画といえば、ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」(1807年制作)であろう。

… (06/05/23)

~アントワネット没後61年~

 偉人の虚像と実像の落差についてはよく語られるが、真の業績がほとんど知られないまま、イメージだけが一人歩きしている例も稀(まれ)にある。たとえば--

… (06/05/16)

~アントワネット19歳~

 18世紀のドイツは無数の小国に分裂し、ヨーロッパの田舎者扱いだった。とうぜん文学においても、英仏文学にくらべ格段に劣るとみなされていた。

… (06/05/09)

~アントワネット誕生11年前~

 人は野心家として生まれるのだろうか、それとも運命に焚(た)きつけられて、思わぬ野心を得るのだろうか。

… (06/05/02)

~アントワネット没後49年~

 フランスが、財政破綻 - 革命 -国王処刑 - 革命家どうしの殺しあい - ナポレオン台頭と、激震にみまわれていた1760年から1820年ころ、イギリスは大規模な産業革命の只中(ただなか)にあった。ちょうどジョージ3世の御世である。

 

… (06/04/25)

- アントワネット没後6年 -

 前々回触れたように、ピョートル大帝と織田信長には、時代こそ違え共通したところが多かった。ふたりとも自国を近代国家にすべく努力し、実力本位で人物を登用した。黒人奴隷を側近にしたのもその流れである。

… (06/04/18)
―アントワネット17歳―

 ヴェルサイユ宮殿の<湯殿の間>には、大理石の塊(かたまり)から削り出して作った8角形の浴槽がある。ほかにも金と白の板張りだとか、温水装置付き浴室などがあり、一見、当時の人々も現代人と変わらぬ入浴習慣があったように錯覚してしまう。

… (06/04/11)
~アントワネット誕生の58年前~

 ロマノフ王朝5代目ピョートル大帝は、いわば織田信長をスケールアップさせたような、桁(けた)外れの独裁者にして改革者だった。

… (06/04/04)
~アントワネット没後20年~

 弱小国は、いつの時代も大国の思惑に翻弄(ほんろう)される。ナポレオン率いるフランスがイギリスと一戦まじえたときの、デンマークがまさにそれだった。

… (06/03/27)
~アントワネット誕生の18年前~

 天下分け目の関が原の戦いがおこったのは、1600年。ほぼ相前後してフィレンツェではオペラが生まれ、またたく間に全ヨーロッパを席巻する。

… (06/03/21)
~アントワネット没後7年~

 カメラのなかった時代、王侯貴族は自らの姿を後世に残すべく、宮廷画家に肖像画を依頼した。

… (06/03/14)
~アントワネット没後26年~

 歴史は時におもしろい偶然の一致を用意して、後世のわれわれを驚かせてくれる。たとえばマリー・アントワネットとマリア・ルイサ。

… (06/03/07)
~アントワネット14歳~

 ルイ15世の孫(後の16世)とマリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットの結婚式は、フランスとオーストリアという大国の結びつきを強化する、政治外交上の一大イベントだった。

… (06/02/28)
~アントワネット誕生の54年前~

 1643年、5歳で即位したルイ14世は、ヨーロッパ史上最長の72年間にわたってフランスに君臨し、まさに「朕は国家なり」を実践した、王の中の王である。

… (06/02/21)
~アントワネット7歳~

 6歳のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがステージ・パパに連れられ、轍(わだち)を刻んでウィーンへ到着したのは1762年晩秋。すでに都は、ザルツブルクからやって来たこの天才少年の噂でもちきりだった。

… (06/02/16)

「世界史レッスン」内容紹介
 「ベルばら」で世界史に“はまった”女子がたくさんいました。そして、授業でオスカルが実在の人物でないことを知り、衝撃を受けました…。コラム「世界史レッスン」では、楽しく読めてためになる「ベルばら」時代前後のさまざまな歴史エピソードをご紹介します。(このコラムは毎週火曜に更新します)

執筆者紹介
icon16 中野京子
北海道生まれ。ドイツ文学、西洋文化史研究。
著書:「怖い絵」(朝日出版社)「メンデルスゾーンとアンデルセン」(さえら書房)「恋に死す」(清流出版)「オペラでたのしむ名作文学」(さえら書房)「恋するヒロイン―オペラにみる愛のかたち」(ショパン)「情熱の女流昆虫画家メーリアン」(講談社)「オペラギャラリー」(共著・学研)など。
翻訳書:「マリー・アントワネット」(角川文庫)「ビターチョコレート」(さえら書房)「訴えてやる」(未来社)など。
中野京子さんの著作一覧

中野京子さんのブログができました

「ベルばら」で好きなキャラクターベスト3は?
…ジェローデル、フェルゼン、オスカル

… (06/02/15)