ラ・モリエールは若いときにバロア家の最後の当主サン・レミー男爵との間にジャンヌをもうける。ところが、男爵はまだ15歳であった後のポリニャック伯夫人にも手をつけていて、彼女も妊娠させていた。
ラ・モリエールにとってポリニャック伯夫人は、憎い恋敵である。しかし、ラ・モリエールは、嫁入り前だというのに不実な男の子どもを妊娠してしまった純真な少女に同情し、彼女の子ども、ロザリーも引き取り、自分の娘として育てた。ポリニャック伯夫人にとって、ラ・モリエールは、この世で一番感謝しなくてはいけないような大恩人なわけである。なのに、彼女はそのポリニャック伯夫人の馬車に轢かれて命を落としてしまうのだ。さすがにわざと轢き殺したわけではなかったが……。
だが、あれほどの親切の代わりに殺されてしまうとは。こんなことがあっていいのかと思えるほど、かわいそうな結末である。
いい人にはぜひ幸せになってもらいたい。
しかし、いい人であることが、いつの時代にも必ずしも幸福につながらないことはとても残念ではあるが、事実である。
ギリシャ神話のティタン神族の神アトラスもそうした気の毒な“いい人”である。
アトラスは、神々の王ゼウスを頭とするオリュンポスの神々よりも古い世代の神々、ティタン神族である。
アトラスは父親ティタン神族のクロノスがゼウスと戦った際に、クロノスに味方した。筋骨隆々で雲をつくような巨体のアトラスは戦場でおおいにオリュンポスの神々を苦しめたが、ティタン神族は敗北してしまう。
この戦争は古き神々であるティタン神族と新しき神々であるオリュンポス神族との権力争いである。だから、どちらが正義か悪かなどとはいえないが、多くの戦争がそうであるように勝ったほうが正義であり、負けた側を裁く権利がある。
オリュンポスの神々にとって脅威の存在であるアトラスには特別重い刑罰が下った。アトラスはその力強い腕で永遠に天空を担ぎ続けなくてはいけないことになったのだ。
いかに怪力のアトラスでも日夜天空を担ぎ続けることは、大変な苦役だ。しかし、アトラスは、その実直な性格故に黙々と天空を担ぎ続けた。
そんなアトラスの前にあるとき、ゼウスの息子である英雄ヘラクレスが現れた。ヘラクレスは黄金のりんごを手に入れるためにアトラスに協力を求めに来たのだ。黄金のりんごを守っているのは、アトラスの娘たちヘスペリデス(黄昏の娘たち)。アトラスは自分と同じく怪力のヘラクレスに天空を担ぐのを代わってもらい、黄金のりんごを娘たちからもらってきてやった。そこで、はじめてこのアトラスははっとする。「こんなチャンスはめったにないぞ。このままヘラクレスに天空を担いでもらえたら、この永遠の苦痛から解放されるじゃないか!」
しかし、他人を陥れるには、アトラスはあまりにも“いい人”すぎた。ヘラクレスが「これから先長い間天空を担ぐために、姿勢を直したいからちょっとの間担いでいてほしい」と言われると、「わかった!」とまんまと再び天空を担いでしまった。もちろん、ヘラクレスにはそのまま逃げられてしまうのである。
ロザリーは一時期ポリニャック家の娘になったが、最後まで母親として慕った人はラ・モリエールだけだった。あのジャンヌですら、ラ・モリエールの死に偽りではない涙を流した。
そして、実はアトラスもヘスペリデス以外にも多くの娘たちがいた。その中でもプレイアデス、昴の姉妹は有名で、彼女たちはアトラスが父親であることを誇りにした。かといって、彼らの不幸が消されるわけでもないだろうが、いい人の真価を自分の子どもが分かってくれているのなら、それは一番の慰めだろうと思える。(米倉敦子)
《参考文献》
・『もう一度学びたいギリシア神話』 松村一男監修 株式会社西東社