榊原和子の宝塚初日&イベントレビュー
朝海ルシファーの神秘と妖しさ 雪組『堕天使の涙』
雪組東京宝塚劇場公演 初日
『堕天使の涙』
雪組の東京公演が開幕した。主演コンビ朝海ひかると舞風りらのサヨナラ公演である。
すでに宝塚大劇場で1カ月半の公演を終えていることもあって、全員の気合いがそろい、迫力いっぱいの舞台となっている。
植田景子作・演出の『堕天使の涙』は、堕天使ルシファーの魂の彷徨を描いたもので、朝海の魅力の1つである“この世のものではない”神秘性と妖しさをモチーフに作り込んだ物語である。
地獄から人間を知るために現れたルシファーは、自ら人間に悪と欲望の罠を仕掛けながら、その結末に打ちのめされる。そんなイノセントとアンビバレンツを矛盾なく見せられるのは、今の宝塚では朝海ひかるしかいないだろう。朝海の堕天使は、少年性や透明感とともに、老成あるいは諦観とでもいったような“時間”をその身体に包括していて、それゆえに人と同じ姿でありながら“人ではないもの”として、説得力ある存在になっている。
舞風りらは、ヒロインというには出番が少ないが、それを越えてなおこの物語でルシファーを変化させる力となる役、リリスを演じている。リリスは薄幸の元バレリーナで、この世の不幸、苦難をもっとも具体的に与えられる存在だ。だが、全てを受容して死んでいく赦しの深さ、同時に浄化された人間の清らかさを、抑え気味の演技で見事に表現してみせる。命尽きたのち、ルシファーのために踊る「光のパ・ドゥ・ドゥ」は歓びに満ちて美しく、主演娘役であり希有なダンサー、舞風りらの真の輝きを見せてくれた。
二番手の水夏希は、新進気鋭の振付家J・ポール。母親との確執を抱えて世の中に反逆する彼の姿は、そのままルシファーと神との相似形になっている。堕天使ルシファーに魂を捉えられる男役同士のパ・ドゥ・ドゥは、朝海とのバランスもよく、夜のプルーローズを背景に耽美そのもの。また、役に入り込むその演技力で、ルシファーとの神学問答にも似た対話をきちんと血肉化し、観客に伝える役割をみごとに果たしている。
そのほかに、この物語には、ルシファーと関わりを持つことで欲望と醜さをむき出しにする人間たちが出てくる。たとえば、作曲家とその弟子、バレリーナの卵と恋人といった人々なのだが、エピソードとしてはありがちで、演者が若いだけにどうしても踏み込みが甘くなっている。とくにバレリーナとその恋人の話は、セリフも演じかたも綺麗ごとに終わってしまっているのが残念だ。その点、作曲家エドモンを演じる壮一帆は、才能のない青年の卑小さをリアルに見せて、かろうじて感情移入できる存在になっていたが。
また、物語の主題に大きな関わりを持つのが、J・ポールと母との存在だが、母性の欠落した母親という今日的なテーマに挑みながら、エキセントリックな存在にとどまって普遍化されていないのが惜しい。“子を愛せない母”への共感と説得力を加えるためには、母親が葛藤をアグレッシブにではなく、自分への責めとして内側に戻すことが必要だろう。
とはいえ、この作品は植田景子作品ならではの厚みのあるビジュアルや緻密な時代考証、バレエという表現を使っての美しいシーンなどが溢れていて、多少の疵など気にならないほど魅力的だ。それはひとえに作者が、宝塚という表現ならではの長所や観客のニーズを知り、そこに演出の焦点を絞り込んでいるからだろう。宝塚という世界への作者のリスペクトと愛、そのことがなによりも観客の心を動かすのだから。
(文・榊原和子/写真・平田ともみ)
《関連情報》
■朝海ひかる初日会見「新たな発見をしながら、最後まで取り組んでいきたい」(11/19Up)
■演じ手への愛があふれる傑作 雪組『タランテラ!』(11/22Up)
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◆雪組東京宝塚劇場公演◆
『堕天使の涙』
作・演出/植田景子
レビュー・アラベスク『タランテラ!』
作・演出/萩田浩一
公演期間:2006年11月17日(金)~12月24日(日)
詳しくは⇒宝塚歌劇団公演案内へ
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2006/11/21 13:45:00 榊原和子の宝塚初日&イベントレビュー | Permalink | トラックバック (0)